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一宵話
稲荷の狐
狐火の事、古より種々ある事なり、或人少年の頃、山中にて目前に見し事あり、七月二十五日の暁、隣村へ行んとする時、途中三四町隔て、山の麓に炬火のちらめくお見付、扠は狐火也、いで試んと稲田の畷道お稲葉がくれに這ゆくに、狐はかゝる時人来べしとはしらで、大小二三十匹叢祠の広前にて、逐つ逐はれつ、息お限りに戯れ居けり、遠くよりて見るに、火とみゆるものは、彼が息なりけり、ひようと飛上る時、口中よりふつと息吹出づ、其息火の如く、ひう〳〵と光る、大抵口より二三尺前にてひかる也、光りつゞけに光る事なし、勢にのりひよつと飛び出す時のみちらつく、遠方より見れば、明滅断続するも理りなり、やがて人声聞えたれば、それに驚きはう〳〵ちりちりに山の奥へにげ入ぬ、擊尾出火などゝ古書にいひしは、口と尻との違ひなりと笑ひしも、今は昔の茶のみ話になれりと語る、此は吹口気如火といふによく合へり、