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古今著聞集
十七/変化
後鳥羽院の御時、八条殿に女院わたらせ給けるころ、かの御所にばけもの有よし聞えければ、院の御所より庄田若狭前司頼慶がいまだ六位なりけるおめして、件のばけ物見あらはして参れと仰られて、彼御所へまいらせられにけり、頼慶すなはち八条殿に参りて、寝殿のきつねどに入て待けり、六け夜迄待たりけれども、あへてあやしき事なし、御所様にも其程はさせる事なかりけり、七日にあたる夜、待かねて少まどろみたりけるに、かはらけのわれおもて、頼慶が頭にばら〳〵となげかけゝる、此時居なおりて、物は有けりと思て待いたるに、又さきのごとくばら〳〵となげかけゝり、され共目に見ゆる物もなし、しばしばかり有て、頼慶がうへおくろき物のつゝさきのやうなるがはしりこえけるお、下よりむずと取とゞめてけり、見れば古狸の毛もなきにてぞ侍りける、やがておしふせてざしぬきのくゝりおぬきてしばりて、いきながら院の御所へいて参りたりければ、御感のあまりに、御太刀一腰、宿衣一領ほうびに給はせけり、其後はかの御所にばけ物なかりけり、水無瀬山のおくにふるき池有、みづどりおほくいたり、くだんのとりお人とらんとしければ、此池に人とり有ておほく人しにけり、源馬允仲隆、薩摩守仲俊、新馬介仲康、此兄弟三人、院の上北面にて、水無瀬殿に祗候の頃、おの〳〵相議して、かのみづどりとらんとて、もちなはのぐなど用意して行むかはんとするお、ある人いさめて、其池にはむかしより人とり有て、おほくとられぬ、はなはだむかふべからずといひければ、まことに無益の事也とてとゞまりぬ、其中に仲俊一人思ふやう、さるとても人にいひおどされて、させるみだら事もなきにとゞまるべきかは、きたなきこと也、我ひとり行て見んとて、小冠者一人に弓矢もたせて、わが身は太刀計打かたげて、闇の夜にて道もみえねど、しらぬ山中おたどる〳〵件の池のはたに行つきてけり、松の池へおひかゝりたるが有けるもとに居て待所に、夜ふくる程に、池の面しんどうして、なみゆばめきておそろしき事かぎりなし、弓矢はげて待に、しばし計有て、池の中ひかりて、其体は見えねども、仲俊が居たる所の松の上にとびうつりけり、弓ひかんとすれば池へとびかへり、矢さしはづせば又もとのごとく松へうつりけり、かくする事たび〳〵になりければ、このもの射とめん事はかなはじと思ひて、弓おうちおきて太刀おぬきて待所に、又松にうつりて、やがて仲俊がいたるそばへ来りけり、はじめは隻ひかり物とこそ見つ〈○つ原脱、拠一本補、〉るに、近付たるお見れば、光の中にとしよりたる姥の、えみ〳〵としたるかたちおあらはして見えけり、ぬきたる太刀にてきらんと思ふに、むげにまぢかきおよく見れば、物がらあんべいに覚えげれば、太刀おうちすてゝむずととらへてげり、とられて池へ引入れんとしけれど、松のねおつよくふみはりて引入られず、しばしからかひて腰刀おぬきてさしあてければ、さゝれてはちからもよはりひかりもうせぬ、毛むく〳〵と有物さしころされて有お見れば狸なりけり、是おとりて其後御所へ参りて、つぼね所へ行てねぬ、夜あけて仲隆等来て、夜前ひとり高名せんとて行しが、いか程の事したるぞとて見ければ、すは見給へとて、古狸おなげ出したりけり、かなしくせられたりとて、見あざみけるとなん、〈○中略〉
斎藤左衛門尉助康、丹波の国へ下向したりけるに、かりおして曰くれたりけるに、ふるき堂の有けるに、内へ入て夜おあかさんとしけるお、其辺の子細しりたる者、此堂には人とりするものゝ侍るに、さうなく御とゞまりはいかゞと雲けるお、何事のあらんぞとて猶とゞまりぬ、雪ふり風吹て、きゝつるにあはせて世中けむつかしくおぼえて、正面のまに、はしらによりかゝりていたりけるに、庭のかたより物のきほひきたるやうにしければ、あかり障子のやぶれよりきと見れば、庭には雪ふりてしらみわたりたるに、堂の軒とひとしき法師のくろ〴〵として見えけり、さりながらさだかには見えず、去程にあかり障子のやぶれより、毛むく〳〵とおひたるほそきかいなおさし入て、助康がかほおなでくだしけり、そのおりきと居なおればひき入けり、其後あかり障子のかたにむかひて、かたまりねて待程に、又さきのごとく手お入てなでける手おむつと取てげり、とられて引かへしけれ共、もとよりすくやか成物なれば、つよく取てはなさず、しばし取からかひける程に、あかり障子引はなちてひろびさしへ出ぬ、障子お中にへだてゝうへにのり居にけり、軒とひとしう見えつれど、障子の下に成てはむげにちいさし、手も又ほそく成にければ、いとゞかつにのりてへしふせておるに、ほそ声お出してきゝとなきけり、其時下人およびて、火お打せてともしてみれば古狸也けり、あした村人に見せんとて、下人にあづけたりけるお、下人共いふかひなく焼くらひてげり、次日おきて尋ければ、かしら計お残したりけり、正体なくて其かしらおぞ村人に見せけり、其後はながく此堂に人とりする事なかりけり、
三条の前の右のおとゞのしらかはの亭に、いづこより共なくて、つぶておうちけることたびたびに成にける、人々あやしみおどろけ共、何のしわざといふ事おしらず、次第に打はやりて、一日一夜に二興〈○興一本作与〉ばかりなどうちけり、蔀やり戸お打とおせども其跡なし、さりけれども人にあたる事はなかりけり、此事いかにしてとゞむべきと、人々さま〴〵に議すれ共、しいだしたる事もなきに、ある田舎さぶらひの申けるは、此事とゞめんいとやすき事也、殿原めん〳〵に狸おあつめ給へ、又酒お用意せよといひければ、此ぬしは田舎そだちのものなれば、さだめてやう有てこそいふらめと思ひて、おの〳〵いふがごとくにまうけてげり、其時此おとこさぶらひの、たたみおきたのたいの東の庭にしきて、火おおびたゞ敷おこして、そこにて此狸おさま〴〵調じて、おの〳〵能々くらひてげり、酒のみのゝしりて雲やう、いかでかおのれほどの奴めは、大臣家おばかたじけなくうちまいらせけるぞ、かゝるしれごとする物共、かやうにためすぞとよくよくねぎかけて、其北は勝菩提院なれば、そのふるついぢの上へほねなげあげなどして、よくのみくひてけり、今はよも別の事さぶらはじといひけるにあはせて、其後ながくつぶて打事なかりけり、是更にうける事にあらず、ちかきふしぎ也、うたがひなき狸のしわざなりけり、