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蝦夷国風俗記

飼赤熊の殺礼の事
蝦夷村々乙名家に飼置く赤熊盛長し、大赤熊となりたるおえらび、その乙名、赤熊にむかひ因果因縁お説しめして曰、大幸なる哉我熊よくきけ、此秋の氏神の犠牲に備ふなり、女未来は人聞と変生すべし、依て是お楽んでいさぎよく犠牲にたつべしといひふくめ、そのゝち其赤熊お縛縊し、一室にひき至り、前後左右よりつなぎとめ、土人大勢群集し、手枷せ足枷いれ、堅固にかこひて、さて首前に幣お建て、鉾太刀長刀、其外種々の長器おかざり、其後其村の乙名おはじめ、其親類及近郷近村の乙名、及び長立たる者あつまりて、大祭礼の祝儀あり、このとき家格新古によりて、其席に先後上下ありて、其席々に急度著座あり、於是射礼あり、銘々次第おそろへて矢お放つ、蟇目の射法のごとし、其式礼終れば、赤熊猛勢起り、死にのぞまんとす、此ときおまち、大勢群り、棒責にして殺すなり、ころし終りて後、其死骸に種々の供物おそなへ、仏家の百味の飲食おそなへ、施餓鬼供養するに似たり、此式礼終りて其供物おもて、近郷近村の老若男女にわかちあたへ、賑恤する事甚し、其後其熊の皮お剥ぎ肉お料理て喰ふなり、さて皮は首お正面に向け、耳環おかけ、霊前にかざりおく、前庭には二行に旗幟お建、武具おかざり、厳重にこそは見へにけれ、祝儀の大酒宴あり、赤熊の肉お肴とし、次に鹿肉狐肉魚肉沢山にして、終日終夜賑ふなり、是お毎秋乙名家豪富の名利とする也、此ときは衣服おあらため、器財宝物お披露し芸術おもて鳴り、才徳器量お輝して、格式おとらん事おはかるとなり、才徳爵禄お布くは、此大祭礼の入用お一人にて度々するおもてなるなり、土人此大祭礼お号けていようまんてといふなり、年中海上にて漁猟お無難にするの祝儀なりといふ、日本の大古則斯のごとし、その法遺り農民の秋祭是なり、