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東遊雑記

此日は十里の行程しかも遠道、故に戸切知帰宿夜の四つ頃にて、人々湯へ入り食事などする内に、八九つにもなりなんとおもひし頃、村中大に騒動して、山も崩るゝときの声おあげ、上お下へと大勢まぜかへす、御巡見使始め何事やらんとおもふ所へ、松前より付添ひし役人来り、例の羆、馬お取に来りし故に、かく騒動仕る、是より鉄炮も数挺うたせ候まゝ、御驚下され間敷よしの案内あり、夫よりして明松星の如く、鉄炮ひまなく打し也漸く八つ比に静りし故に、聞ば羆二匹来り、馬お二つ取帰りし也、御巡見に付ては、松前より来りし諸役案内者人足迄、都合千四五百人、馬も百余匹も集りて賑々敷、中へはいかなる猛き惡虎なりとも、来るべきとはおもはざりしに、羆来りて馬お二匹も取りしと聞ば、何れも大に驚きし也、土人お呼出され尋有しに羆は日本の熊に大概似たる形にて月の輪なく、前足短く後足長く、毛深く黒しといへど、底に赤色お帯て光りなく、日、本の熊の色とは大に劣し也、顔は犬の子の如くかはゆらしく見ゆ、急に走らざる時は、人の如くに立てあゆむ也、大ひ成るは立し形一丈二三尺余、敷革にするに二畳歟と成る、小なる羆にても、日本の熊よりも大ひ也、力は何程ある事や、馬お取に頭と尻とおつかみ、中より折て夫お脊にかつぎて走るに矢の如し、馬にても人にても、骨までも喰ひ尽すもの故に、松前においては羆とはいはず、鬼熊(○○)と雲、人里近くおれば、幾日も往来の止る也、其時には松前より鉄炮打に奉行添ひて幾組も来り、羆お打事なり、たま〳〵打取事もあり、鉄炮一人にては中々打るるものにあらず、鉄炮の中り所あしければ、疵口に草の葉お取ておし入れ、其儘人お見かけて飛かゝるなり、刃物はつかみ取、羆にかぎり刀術など間に合ふものにあらず、鎗にて突の外なしといへり、此夜もとられざる馬所々へ逃走り、夜明迄に彼こに三匹、援にて五匹と、漸々に尋ね帰りし也一羆は臭気ありて、松前の馬は生れながら羆の臭気は知りて、いかよふに強き綱にでも、羆一二町も近づき来れば、臭気おかぎ綱お切て逃走るよし、是故に松前にて羆お恐るゝ事、鬼神の如し然るお蝦夷人は羆おとりて食事とす、山林に入りて羆に出合ても少しも恐れず、却て羆は夷人の服の異成るに、髭ぼう〳〵とはへしが、彼弓矢お携へし姿お見ては恐れ逃るよし、世に雲、蝦夷人は羆に出合ても柴かくれといふて、一葉の影にもかくるゝ術有りと聞しに虚説也、夷人山中岩石の上にても、徒足にて嶮しき所も平地の如く走りめぐりて、高きよりも飛事、羆にも劣らず、丈夫なる故に、右の怪説お加へしならん、鮭の川々へ登る時札には、羆二三匹も川の瀬に伏し、鮭お取事人の如く、夫お藤かづらに幾つともなくつらのき、山にかへる時は脊にかつぎて走るに、木の枝岩の角に引かけて、鮭のすたる事、己が力強きゆへか、覚へず知らずして穴に入時におよび、空しき蔓ばかりお見て、友羆の取りしとおもひ、喰合かき合大ひに争といふ、寒中雪深き節はやゝもすれば、夜中海浜の数の子蔵のある所へ来り、板お破り数の子お喰ふよし、夫故に海浜の蔵は何れも念の入りて、厚板にて包まはして有り、或時松前近所の蔵お破りて、数の子お喰ひし羆二匹迄、浄川の谷川の辺りに伏し居たり、数の子蔵の破れお見て、さては数の子お飽まで喰ひて水お呑に相違なしと、各鎗にて突殺せしに、服中にて数の子ふへ増して、腹大にふくれし故にうごき得ずして、安々と松前人にとられしと物語なり、〈奥路にも〉馬お取し事、数の子お喰し事、すべて同様也、