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近世奇人伝

樵者七兵衛妻 同久兵衛妻
享保三年戊戌十一月廿八日晡時、丹波国舟井県に野猪傷おかふむりて怒走り、八木村より南広瀬村に入、山本おめぐりて直に山室村に向ひ、鳥羽村お過、一人田かへしてありけるものお牙て、尚荒まさりぬ、樵者久兵衛なるもの年六十四、薪お負て帰るさにあひて、俄にさけかくれん所なく、そこにありける不お攀、地お離るゝことはつかに三尺許、猪裳の端お〓て引落しければ、せんかたなく相敵すること久うして遂に崖下に墜、猪いよ〳〵猛りて喰ひ嚙て、あまた所やぶられしかば、頻にさけび呼といへども、答ふるものなし、是が妻某年五十四、聞つけてとみに走来て袂おもて猪の首におほひ、頸に跨て抱とゞむ、猪動くことお得ざる間に、頻に命お救へと呼、こゝにして村民弐人相継て来り、短刀おもて刺、また一人来て、斧おもて其脚おうつ、既にしてあまた集り、其疲たるに乗て殪しぬ、樵者は終に活ことお得、月日おへて創も痊たり、其所亀山の領地なれば、その妻の烈お賞し給ひて、穀お賜ぬと、東涯先生の筆記に見ゆ、