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今昔物語
二十
愛宕護山聖人被謀野猪語第十三
今昔、愛宕護の山に久く行ふ持経者の聖人有けり、年来法華経お持奉て、他の念無して、坊の外に出事無りけり、智恵無くして法文お不学けり、而るに其山の西の方に一人の猟師有けり、鹿猪お射殺すお以て役とせり、然れども此の猟師、此の聖人おなむ、勤に貴びて常に自も来り、折節には可然物などお志ける、而る間猟師久く此の聖人の許に不詣ざりければ、餌袋に可然菓子など入て持詣たり、聖人喜て日来の不審き事共など雲に、聖人居寄て猟師に雲く、近来極て貴き事なむ侍る、我れ年来他の念無く法花経お持て奉て有る験にや有らむ、近来夜々普賢なむ現むじ給ふ、然れば今夜も留て礼み奉り給べき、猟師極て貴き事にこそ候なれ、然らば留て礼み奉らむと雲て留ぬ、而る間聖人の弟子に幼き童有り、此の猟師童に問て雲、聖人の普賢の現じ給ふと宣ふは、女もや其普賢おば見奉ると、童然か五六度許は見奉たりと答ふれば、猟師の思はく、然らば我も見奉る様も有なむと思て、猟師聖人の後に不寝ずして居たり、九月廿日余の事なれば夜猶も長し、夕より今や〳〵と待て居たるに、夜中は過やしぬらむと思ふ程に、東の峯の方より月の初めて出が如く白み明る、峯の嵐の風吹き掃ふ様にして、此坊の内に月の光の指入たる様に明く成ぬ、見れば白き色の善薩白象に乗て漸く下り御座ます、其有様実に哀れに貴し、菩薩来て房に向たる所に近く立給へり、聖人泣々礼拝恭敬して、後に有猟師に雲く、何ぞ主は礼み奉給ふやと、猟師極て貴く礼み奉ると答て、心の内に思はく、聖人の年来の法花経お持ち奉り給はむ目に見え給はむは猶可然し、此童我身などは経おも知り不奉、又目に此く見え給ふは極て恠き事也、此お試み奉らむに信お発さむが為なれば、更に罪可得事にも非ずと思て、鋭雁矢お弓に番て聖人の礼み入て低れ臥たる上より、差し越して弓お強く引て射たれば、善薩の御胸に当る様にして、火お打消つ様に光も失ぬ、各さけび動て逃ぬる音す、其時に聖人此は何にし給ひつる事ぞと雲て、呼び泣き迷ふ事無限し、猟師の雲く、穴鎌給へ、心も不得ず恠く思えつれば、試むと思て射つる也、更に罪不得給はじと勤に誘へ雲ひければ、聖人の悲び不止ず、夜明て後菩薩の立給へる所お行き見れば血多流たり、其血お尋て行て見れば、一町許下て谷底に大なる野猪の胸より、鋭雁矢お背に射通されて死に臥せりけり、聖人此お見て悲びの心醒にけり、然れば聖人也と雲とも、智恵無き者は此く被謀る也、役と罪お造る猟師也と雲へども、思慮有れば此く野猪おも射顕はす也けり、此様の獣は此く人お謀らむと為る也、然る程に此く命お亡す、益無き事也となむ語り伝へたるとや、