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今昔物語
二十七
被呼姓名射顕野猪語第卅四
今昔の国の郡に、兄弟二人の男住けり、兄は本国に有て朝夕に狩するお役としけり、弟は京に上て宮仕して時々ぞ本国には来ける、而る間其の兄九月の下つ暗の比、灯と雲ふ事おして大きなる林の当りお過けるに、林の中に辛ひたる音の気色異なるお以て、此の灯為る者の姓名お呼ければ、恠と思て馬お押返して其の呼ぶ音お弓手様に成して、火お焰串に懸て行ければ、其時には不呼ざりけり、本の如く女手に成して火お手に取て行く時には必らず呼けり、然れば構て此れお射ばやと思ひけれども、女手なれば可射き様も無くて、此様にしつヽ夜来お過ける程に、此の事お人にも不語ざりけり、而る間其の弟京より下だりけるに、兄然々の事なん有ると語ければ、弟糸希有なる事にこそ侍なれ、己れ罷り試むと雲て灯しに行にけり、彼の林の当りお過けるに、其の弟の名おば不呼ずして本の兄が名お呼ければ、弟其の夜は其の音お聞つる許にて返にけり、兄何かにぞ聞給つやと問ければ、弟実に候ひけり、但しえせ者にこそ候ぬれ、其の故は実の鬼神ならば己が名こそ可呼きに、其の御名おこそ尚呼び候ひつれ、其れお不悟ぬ許の者なれば、明日の夜罷て必ず射顕して見せ奉らむと雲て其夜は明ぬ、亦の夜々前の如く行て火お燃して其お通けるに、女手なる時には呼び、弓手なる時には不呼ざりければ、馬より下て鞍お下て馬に逆様に置て、逆様に乗て呼ぶ者には女手と思はせて、我れは弓手に成て火お焰串に懸て箭お番ひ儲て過ける時に、女手と思けるにや前の如く兄が名お呼けるお、音お押量て射たりければ尻答へつと思えて、其の後鞍お例の様に置直して馬に乗て女手にて過けれども、音も不為ざりければ家に返にけり、兄何にかと問ければ、弟音に付て射候つれば尻答ふる心地しつ、明てこそは当り不当ずは行て見むと雲て、夜明けるまヽに兄弟掻列て行て見ければ、林の中に大きなる野猪木に被射付てぞ死て有ける、此様の者の人謀らむと為る程に由無き命お亡す也、此れ弟の思量有て射顕かしたる也とてぞ、人讃けるとなむ語り伝へたるとや、
有光来死人傍野猪被殺語第卅五
今昔 の国 の郡に、兄弟二人の男有けり、其に心猛くして思量有ける、而るに其の祖死にければ、棺に入れて蓋お覆て、一間有ける離たる所に置て、葬送の日の遠かりければ、日来有ける程に、自然ら仏に人の見て雲ける様、此の死人置たる所の夜半許に、光る事なむ有る恠き事也と告ければ、兄弟此れお聞て、此れは若し死人の物などに成て光るにや有らむ、亦死人の所に物の来るにや有らむ、然らば此れ構へて見顕かさばやと雲合せて、弟兄に雲く、我が音せむ時に火お燃して必ず疾く持来れと契て、夜に成て弟密に彼の棺の許に行て、棺の蓋お仰様に置て、其の上に裸にて髻お放ち仰様に臥して、刀お身に引副へて隠して持たりけるに、夜半には成ぬらむと思ふ程に、和ら細目に見ければ、天井に光る様にす、二度許光て後天井お掻開て下来る者の有り、目お不見開ねば〓に何者とは不見ず、大きやかなる者板敷にどうと著すなり、此る程に真さおに光たり、此の者臥たる棺の蓋お取て傍に置むと為るお押量て、ひたと抱付て音お高く挙て得たりううと雲て、脇と思しき所に刀お杷口まで突立てつ、其の時に光も失ぬ、而間兄の儲け待つ事なれば、兄程無く火お燃て持来たり抱き付作ら見れば、大きなる野猪の毛も無きに抱付て、脇に刀お被突立て死て有り、見るに糸奇異き事無限し、此お思ふに棺の上に臥たる弟の心糸むくつけし、死人の所には必ず鬼有りと雲ふに、然か臥たりけむ心極て難有し、野猪と思る時にこそ心安けれ、其の前は唯鬼とこそ可思けれ、火燃して疾く来る人は有なむ、亦野猪は由無き命亡す奴也となむ語り伝へたるとや、
於播磨国印南野殺野猪語第卅六今昔、西の国より脚力にて上ける男有けり、夜お昼に成して隻独り上ける程に、播磨の国の印南野お通けるに、日暮にければ可立寄き所や有ると見廻しけれども、人気遠き野中なれば可宿き所も無し、隻山田守る賤の小さき菴の有けるお見付て、今夜許は此の菴にて夜お明さむと思て這入て居てけり、此の男は心猛く也ける者にて、糸軽びやかにて大刀許お帯てぞ有ける、此く人離れたる田居中なれば、夜なれども服物なども不脱ず、不寝ずして音も不為で居たりける程に、夜打深更る程に仏に聞けば、西の方に金お扣き念仏おして、数の人遥より来る音有り、男糸恠く思て来る方お見遣れば、多の人多の火其お燃し列て、僧共など数金お打念仏お唱へ、隻の人共多して来る也けり、漸く近く来るお見れば、早く葬送也けると見るに、此の男の居たる菴の傍糸近く隻来に来れば、気六借き事無限し、然て此の菴より二三段許お去て、死人の棺お持来て葬送す、然れば此の男弥よ音も不為で不動で居たり、若し人など見付て問はヾ、有のまヽに西の国より上る者の、日の暮れて菴に宿れる由お雲はむなど思て有るに、亦葬送する所は兼てより皆其の儲して験き物お、此れは昼る然も不見ざりつれば、極て恠き事かなと思ひ居たる程に、多の人集り立並て然葬畢てぞ、其の後亦鋤鍬など持たる下衆共員不知ず出来て、墓お隻築に築て、其の上に卒都婆お持来て起つ、程無く皆拈畢て後に、多の人皆返ぬ、此の男其の後中々に頭毛太りて怖しき事無限し、夜の疾く明よかしと、心とも無く思ひ居たるに、怖しきまヽに、此の墓の方お見遣て居たり見れば、此の墓の上動く様に見え、僻目かと思て吉く見れば、現に動く、何で動くにか有らむ奇異き事かなと思ふ程に、動く所より隻出に出づる物有り、見れば裸なる人の土より出て、肱身などに火の付たるお吹払ひつヽ立走て、此の男の居たる菴の方様に隻来に来る也けり、暗ければ何物とは否不見ず、器量く大きやかなる物也、其の時に男の思はく、葬送の所には必ず鬼有なり、其の鬼の我れお啖はむとて来にこそ有けれ、何様にても我身は今は限りなりけりと思ふに、同死にて此の菴は狭ければ入なば悪かりなむ、不入ぬ前に鬼に走り向て切らむと思て、大刀お抜て菴より踊出て鬼に走り向て、鬼おふつと切つれば、鬼被切て逆様に倒れぬ、其の時に男人郷の近き方様へ走り逃る事無限し、遥に遠く走り逃て人郷の有けるに走り入ぬ、人の家の有けるに、和ら寄て門脇に曲まり居て、夜の明るお待つ程心もと無し、夜明て後に男其の郷の人共に会て、然々の事の有つれば、此く逃て来れる由お語れば、郷の人共此れお聞て奇異と思て、去来行て見むと雲て、若き男共の勇たる数男お具して行て見ければ、夜前葬送せし所に墓も卒都婆も無し、火なども不散ず、隻大きなる野猪お切殺して置たり、実に奇異き事無限し、此れお思ふに野猪の此の男の菴に入けるお見て、恐さむと思て謀たりける事にこそ有めれ、益無き態して死たる奴かなヽとぞ皆人雲喤ける、然れば人離れたらむ野中なむどには人少にては不宿まじき事也けり、然て男の京に上て語けるお聞継て、此く語り伝へたるとや、