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奥州波奈志
上遠野伊豆
昔富士の御狩には、仁田の四郎、猪にのりしといふよりくふうにて、御山追の度毎に、いつも猪に乗しと雲伝ふ、正左衛門けい母は上遠野家より来りし人也、〈この伊豆にはまたおいなり〉この人のはなしに、伊豆は狐おつかひしならん、あやしきこと有と雲しとぞ、手りけんと、猪にのるとのくふうなどあやうきこと也、さるおなるやならずやといふことおとひあはする物有て、思立しこと也と語しとそ、ざれば正左衛門もいづなの法習はんとはせしなるべし、八弥若年の頃迄は伊豆も老年にてながらへ有しかば、夜ばなしなどには猪にのることお常に語りて有しとぞ、逃てゆく猪にはのられず、手追に成て人おすくはんとむかひ来る時、人の本にいたりては少しためらふもの也、その時さかさまにとびのる也、猪はかたほねひろくしりのほそきもの故、しり尾にすがりて下はらにあしおからみておれば、いかなる薮中おくゞるとてもさはらぬもの也、扠おもふまゝくるはせて少し弱りめに成たる時、足場よろしき所にてわきざしおぬきて、しりの穴にさし通し、下はらの皮おさけば、けして仕とめぬことなしと雲しと也、