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宇治拾遺物語
十二
いまはむかし、壱岐守家行が、郎等等お、はかなきことによりて、主のころさんとしければ、小舟にのりてにげて新羅国へわたりて、かくれていたりけるほどに、新羅のきんかいといふところの、いみじうのゝしりさはぐ、なにごとぞとゝへば、とらのこうに入て、人おくらふ也といふ、この男とふ、虎はいくつばかりあるぞと、たゞ一あるが、にはかにいできて、人おくらひて、逃ていき〳〵するなりといふおきゝて、この男のいふやう、あの虎に合て一矢お射てしなばや、とらかしこくばともにこそしなめ、だゞむなしうはいかでかくらはれむ、此国の人は兵の道わろきにこそはあれといひけるお、人きゝて国の守にかう〳〵の事おこそ、此日本人申せといひければ、かしこき事かな、よべといへば、人きてめしありといへばまいりぬ〈○中略〉おのこ申やう、さてもいづくに候ぞ、人おばいかやうにてくひ侍るぞと申せば、守のいはく、いかなるおりにかあるらん、こうの中に入きて、人ひとりお頭おくらひて、かたにうちかけて去なりと、この男申やう、さてもいかにしてかくひ候とゝへば、人のいふやう、とらはまづ人おくはんとては、ねこのねずみおうかゞふやうにひれふして、しばしばかりありて、大口おあきてとびかゝり、頭おくひてかたにうちかけてはしりさるといふ、とてもかくてもさばれ一矢射てこそはくらはれ侍らめ、そのとらのありどころおおしへよといへば、これより西に卅四町のきておの畠あり、それになんふすなり、人おぢてあへてそのわたりにゆかずといふ、おのれたゞしり侍らずとも、そなたおさしてまからんといひて、調度おひていぬ、新羅の人々日本の人ははかなし、とらにくはれなんとあつまりて雲けり、かくてこの男は、とらのありどころきゝて行てみれば、まことに畠はるばるとおひわたりたり、おのたけ四尺ばかりなり、その中おわけ行てみれば、まことにとらふしたり、とがり矢おはげてがたひざおたてゝいたり、とら人の香おかぎて、ついひらがりてねこのねずみうかゞふやうにてあるお、おのこ矢おはげておともせでいたれば、とら大口おあきて、おどりて、おのこのうへにかゝるお、おのこ弓おつよくひきて、うへにかゝるおりに、やがて矢おはなちたれば、おとがひのしたよりうなじに七八寸ばかり、とがり矢お射出しつ、とらさかさまにふしてたおれてあがくお、かりまたおつがひ二たび腹おいる、二度ながら土に射付て、ついにころして矢おものかで、国府にかへりて、守にかう〳〵射ころしつるよしいふに、守かんじのゝしりて、おほくの人おぐして、とらのもとへ行てみれば、まことに箭三ながら射とおされたり、見るにいといみじ、まことに百千のとらおこりてかゝるとも、日本の人十人ばかり馬にておしむかひて射ば、とらなにわざおかせん、ごの国の人は一尺ばかりの矢に、きりのやうなる矢じりおすげて、それに毒おぬりていれば、ついにはそのどくのゆへにしぬれども、たちまちにその庭に射ふすことはえせず、日本人は我命死なんおも露おしまず、大なる矢にていれば、その庭にいこうしつ、なお兵の道は日本の人にはあたるべくもあらず、さればいよ〳〵いみじうおそろしくおぼゆる国なりとておぢけり、さてこのおのこおばなおおしみとゞめて、いたはりけれど、妻子おこひてつくしにかへりて、宗行がもーしに行て、そのよしおかたりければ、日本のおもておこしたるものなりとて、勘当もゆるしてけり、おほくのものども禄にえたりける、宗行にもとらす、おほくの商人ども、新羅の人のいふおきゝてかたりければ、つくしにもこの国の人の兵は、いみじきものにぞしけるとか、