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玄同放言

雷魚雷鶏雷鳥〈並異形雷獣図〉
雷獣は今も目擊するものあらん、その状、小狗に類して灰色なり、頭は長く、啄半黒し、尾は狐の如く、利爪鷲の如しといへり、雷震記に図するもの、信濃地名考に説くところ、大抵相同じ、又一説に、首尾は獺に似て、状鼯鼠の如く尾と共に長さ三尺に過ぎず、全体雛狐の如しといへり、種類一同ならぬものにや、越後名寄〈巻一天象〉参補亦雲、安永中、雷隕干村松城之士家、而獲獣大如猫、其形亦略相似矣、其毛灰色而有光、日中之後、帯黄赤色如金、腹毛逆生、毛末有岐、天晴則終日垂首如眠、陰暗風雨之日、則有可恐之勢矣、此獣打傷足、而不能升騰、是以被獲焉、差之後、土人放之矣、按蓋雷隕之処、往往見此獣、此獣在於三国巓、河内山中、飯豊山之中、雲下掩山中、則乗之升騰、而奔走雲中、従雷霆隕地、土俗名之謂雷獣といへり、これらは見聞のひとしからざると、おの〳〵譬お取るのおなじからざるにもやあらん、此に墜つるもの小狗の如く、彼に獲らるゝもの獺の如く、猫に似たらんは、いよいよいぶかし、深山の怪獣、億度おもて弁じがたし、姑く異同お挙げて、後勘の為にす、唐山にも〓といふ獣あり、正字通〈巳集上〉〓字下雲俗鼺字、旧説引説文鼠形雲々、一名鼯鼠、一名飛生といへり、〈鼺音鸓、玉篇音羸非、〉これに由るときは、鸓は和名むさゝびといふものなり、しかれども続字彙補〈巳集〉補音義雲、〓力追切、音雷、獣名、其形似狸といへり、かゝれば、是国俗の所雲雷獣の類なるものか、亦その雷に従ひて昇降するや否おしらざるのみ、又一種、雷獣の首、彘に似たるものあり、そはある人の蔵去せる臨本にて見き、写真なりといへり、又近ごろ越の後なる一友人より、異形なる雷獣の画図一頁お獲たり、その図説に雲、元禄年間、夏六月中旬、越後国魚沼郡、妻有(つまり)の近村、伊勢平治村なる観音堂の辺、深田の中に陥りつヽ、竟に弊れし雷獣ありけり、当初袖の沢の里人、豊与といふもの、年十五のとき、観音詣のかへるさ、雨お長徳寺〈この寺観音堂の辺にあり〉に避けて、住持と共に、目擊せしといひ伝ふ、こはよに異なる雷獣なり、その形六足〈前二足後四足〉三尾なり、首は野猪に似て長き牙あり、啄の長さ七八寸、尾の長さ啄とおなじ、足の長さ六寸余許、爪は水晶の如く、鮮にして水掻あり、狼の如し、毛鬣三寸、その色蕉茶といふものに似たり、すべては身長狐とおなじ、眼するどく、形体にくむべし、今の画図は、小千谷(おちや)なる法橋玉湖といふ画工が総角のとき、〈宝暦年間〉祖父の話説に就きて図したるお、復摸写せしなりといふ〈提要易文○図略〉越後塩沢なる鈴木牧之〈通称義三二〉は、素より好事の人なれば、余が為に、件の図説おうつしとりて、附郵して見せらる、牧之雲、目今の事といふともそら言は多かるに、況て百とせあまりの事なれば、証とすべき人もなし、隻彼玉湖は、豊与が孫なり、画おもて僕と、友垣結ぶこと久しくなりぬ渠が総角のとき、祖父の雲々といひしまに〳〵、図したりとかいふめれど、虚実は定かならずといへり、牧之は老実人なれば、しか思ふこそことわりなれ、げに信けがたき事なれども、因にこゝに謄写して、児曹の観に充つるのみよしやこの物よにありとも、その形みなこれならんや、六足三尾は、復あるべくもあらずかし、余これらの画図お見て、更に思ふよしあり、これ唐の李肇が所雲、雷州の雷公と同類なるべし、