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甲子夜話

この二月十五日の朝俄に雷雨したるが鳥越袋町〈○江戸浅草〉に雷落たり、処は丹羽小左衛門と雲人〈千石〉の屋敷の門と雲ふ、其時門番の者見居たるに、一火団地へ墜るとひとしく、雲降り来て火団は其中に入りて空に昇れり、其後に獣残り居たるお、門番六尺棒にて打たるに獣走にげ門続の長屋にゆき、又その次の長屋に走込しお、それに住める者、有合ふ者にて抛打に為たれば、獣其男の頬おかきさき逃失たり、因て毒気に中りたるが、此男は其まヽ打臥たりと、又始め雷落たるとき、かの獣六七も有たると覚へしと、門番人雲けるが、猫より大きく、払林狗の如くにして、鼠色にて、腹白しと、震堕の門柱三本に爪痕あり、此事お聞き、行人群集して常々静なる袋町も、忽一時の喧噪お為しとなり、其屋敷は同姓勢州が隣にて、僅に隔りたる故、雷落し頃は別て雨強く、門内敷石の上に水たヾへたるに、火光映じて門内一面に火団飛走かと見えしに、激声も烈しかりしかば、番士三人不覚うつ伏になり、外向に居し者は顔に物の中る如く覚へ、半時計は心地惡くありたりと、勢州の家人物語せり、