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水虎考略
後編
釜淵川猿
毛利大江の元就の士荒源三郎元重は、芸州高田郡吉田に住す、天文三年八月、吉田の釜が淵より化生のものいで候、近辺の男女わらんべお捕て淵へかけいり、民家商家門お閉て、吉田郡は城下往来絶たり、元就是お聞たまひ、荒源三郎に下知し給ふ、源三郎は本名井上にて、信濃源氏の末裔也、其形容七尺に余り、力量凡七拾人力あり、神力魔法お行はゞ、大蛇にても鬼神にてもたまるまじと、万民雲霧のごとく集り、見物の貴賤市おなす、時に源三郎元重はだかになり、下帯に大太刀十文字にさし、淵の浅みにたち、大音に哼りけるは、いかに此淵の化生慥に聞け、女人民お取喰、其科によつて隻今殺害の為、荒源三郎来りたり、出て勝負おせよと呼りければ、淵の底とゞろき、逆波立て、水岸にあふれて流れ出て、元重の両足お水中よりひしと捉て引込んとす、源三郎きつと見て、やさしやと、足おとりたる両手お握りて、えいと引、化生も下へひく、互に引合、おどり出しが、化生の力は百人力もあるべし、山のごとくにしてうごかずおもてお水中より差出したるおみれば、鬼にはあらず、淵猿なり、〈俗に雲ふ川太郎といふ者ならん〉さればこそ頭くぼき処ありて、水あれば力つよく、水なければ力なしと兼々聞およびければ、頭お捉へんとすれば忽すべりてとられずして揉合しが、終に頭お捉てさかしまになし、ふり廻しければ、頭の水こぼれて、淵猿忽ち力おとろへければ、提てきしにあがり、化生取たりとよばゝりければ、見物の貴賤、取たり〳〵と、一同におめき、暫く鳴もしづまらず、かくて元重件のものおなわにてしばりて、提て城中へ帰り、釜が淵の化生生どり候と訴けり、元就感悦し給ひて、誠に源三郎は天地鬼神にも増りたりとて、加恩五十貫、来国行の太刀お玉はりければ、源三郎うけずして、かゝる畜類おとり候へばとて、御恩賞に預り候事、却て迷惑仕候なりとて、打笑ひつゝ太刀かたな御前に差置、我屋にさして帰りける、〈老媼茶話〉