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信濃奇談

河童
羽場村に天正の比、柴河内といふ人住ぬ、ある時馬お野飼にして、天竜川の辺にはなち置けるお、河童といふもの、此馬取んと手綱とらへて牽けるに、さながら自由にもならず、かなたこなたへ行お、かの河童縄おとらへかねてや、おのが腰に巻て川へ引入んとするに、馬はひかれじとあらそひいどみけるが、河童かくてはかなはじとや思ひけん、かの手縄おだん〳〵におのが身にまとひつけて、力のあらんかぎりあらそひ引て、今少し此水の中へ引入たらんには、いかに大きなる馬なりとも、とらでやは置べきといどむうち、時うつり日くれたり、寔や小は大にかなひがたく、終に馬は走り出しておのが家へはしり来る、河童は縄おいく重も身にまとひたれば、とくにいとまなくひかれ来るさま、人々はしり出て、あなめづらし希有の事哉と、集ひよりてきびしくしばりつなぎて、厩の柱にくゝりつけ置ぬ、あるじ仁心ある人にて、無益に殺すもさすがにあはれみて縄解てはなちけり、その後その恩お報ぜんにや、川魚など取て、戸口におきし事度々ありしと、小平物語に見へたり、今も猶里老は語り伝ふ、近き比にも、河童の小児など取ける事多くあり、河童とかきてかつはとよぶは、かはわつはの略なり、本草渓鬼虫の附錄に水虎といへるは、此たぐひにやと貝原翁いへり、私にいふ、是水獺の老たるものにや、貝原翁又いふ、淮南子に、魍魎状如三歳小児、赤黒色赤目長耳長髯、左伝注疏に、魍魎は川沢の神なりと見えたる、この河童に似たり雲々、