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善庵随筆
当六月朔日、水戸浦より上り候河童丈三尺五寸余、重十二貫目有之候、殊の外形より重く御座候、海中にて赤子の鳴声火敷いたし候間、猟師共船にて乗り廻り候へば、海の底にて御座候故、網お下し申し候処、色々の声仕候、夫よりさしあみお引き廻し候へば、鰯網の内へ、十四五匹入候ひておどり出だし逃げ申候、船頭共棒かひなどにて、打ち候へども、ねばり付、一向にきゝ不申候、其内一匹船の内へ飛び込み候故、とまなど押しかけ、其上よりたゝき打ち殺し申し候、其節迄やはり赤子の鳴声致し申し候、河童の鳴声は、赤子の鳴声同様に御座候、打ち殺し候節、屁おこき申し候、誠に難堪にほひにて、船頭など、後にわずらひ申し候、打ち候棒かひなど、青くさきにほひ、未だ去り不申候、尻の穴三つ有之候、総体骨なき様に相見え申し候、屁の音はすつ〳〵と計り申し候、打ち候へば、首は胴の内へ八分程入り申し候、胸肩張出し、脊むしの如くに御座候、死候ては、首引き込み不申候、当地にて度々捕へ候へ共、此度上り候程大きなる重きは、隻今迄見不申候、珍敷候間申進候、已上、
六月五日 〈東浜〉権平治
浦山金平様
これ享和元年辛酉歳のことなり