[p.0491][p.0492]
西遊記

山童(わろ)
九州極西南の深山に、俗に山わろといふものあり、薩州にても聞しに、彼国の山の寺といふ所にも、山わろ多しとそ、其形大なる猿のごとくにして、常に人のごとく立て歩行く、毛の色甚黒し、此寺などには毎度来りて食物お盗みくらふ、然れども塩気あるものお甚嫌へり、杣人などは山深く入りて、木の大なるお切り出す時に、峯お越へ谷おわたらざれば出しがたくて、出しなやめる時には、此山わろに握り飯おあだへて頼めば、いかなる大木といへ共、軽々と引かたげて、よく谷峯おこし、杣人のたすけとなる、人と同じく大木お運ぶ時に、必うしろの方に立て、人より先に立行事お嫌ふ、めしおあたへて是おつかへば、日々来り手伝ふ、先使終りて後に飯おあたふ、はじめに少々にても飯おあたふれば、飯お食し終りて逃去る、常には人の害おなす事なし、もし此方より是お打ち、或は殺んとおもへば、不思儀に祟おなし発狂し、或は大病に染み、或は其家俄に火もへ出など、種々の災害起りて、祈禱医薬も及事なし、此ゆへに人皆大におそれうやまいて、手さす事なし、此もの隻九州の辺境にのみ有りて、他国に有ることお聞かず、冬より春多く出るといふ、冬は山にありて山操(わろ)といひ、夏は川に住みて川太郎といふと、或人の語りき、然れば川太郎と同物にして、所により時によりて、名の替れるものか、