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北越雪譜
二編四
異獣
魚沼郡堀内より十日町へ越る所七里あまり、村々はあれども山中の間道なり、さてある年の夏のはじめ、十日町のちゞみ問屋、ほりの内の問屋へ、白縮なにほどいそぎおくるべしといひこしけるゆえ、その日の昼すぐる頃、竹助といふ剛夫おえらみ、荷物おおはせていだしたてけり、かくて途も稍々半にいたるころ、日ざしは七つにちかし、竹助しばしとて、みちのかたはらの石に腰かけ、焼飯おくひいたるに、谷間の根笹おおしわけて来る者あり、ちかくよりたるお見れば、猿に似て猿にもあらず(○○○○○○○○○○)、頭の毛長く脊にたれたるが半ばしろし(○○○○○○○○○○○○○○○○○)、丈は常並の人よりたかく(○○○○○○○○○○○)、顔は猿に似て赤からず(○○○○○○○○○○)、眼大にして光りあり(○○○○○○○○○)、竹助は心剛なる者ゆえ、用心にさしたる山刀お提、よらば斬んと身がまへけるに、此ものはさる気色もなく、竹助が石の上におきたる焼飯に指し、くれよと乞ふさまなり、竹助こゝろえて投与へければ、うれしげにくひけり、是にて竹助心おゆるし、又もあたへければ、ちかくよりてくひけり、竹助いふやう、我はほりの内より十日町へゆくものなり、あすはこゝおかへるべし、又やきめしおとらすべし、いそぎのつかひなればゆくぞとて、おろしおきたる荷物おせおはんとせしに、かのもの荷物おとりて、かる〴〵とかたにかけ、さきに立てゆく、竹助さてはやきめしの礼にわれおたすくるならんと、あとにつきてゆくに、かのものはかたにものなきがごとし、竹助は嶮阻の道もこれがためにやすく、およそ一里半あまりの山みちおこえて、池谷村ちかくにいたりし時、荷物おばおろし、山へかけのぼる、そのはやき事風の如くなりしと、竹助が十日町の問屋にてくはしく語りしとて、今にいひつたふ、是今より四五十年以前の事なり、その頃は山かせぎするもの、おり〳〵は此異獣お見たるものもありしとぞ、前にいふ池谷村の者の話に、我れ十四五の時、村うちの娘に機の上手ありて、問屋より名おさして、ちゞみおあつらへられ、いまだ雪のきえのこりたる窻のもとに、機お織ていたるに、窻の外に立たるおみれば、猿のやうにて顔赤からず(○○○○○○○○○○○)、かしらの毛長くたれて(○○○○○○○○○○)、人よりは大(○○○○○)なるが、さしのぞきけり、此時家内の者はみな山かせぎにいでゝ、むすめ独りなれば、ことさらに懼れおどろき逃んとすれど、機にかゝりたれば、腰にまきつけたる物ありて、心にまかせず、とかくするうちかのもの立さりけり、やがてかまどのもとに立、しきりに飯櫃に指して欲きさまなり、娘此異獣の事おかねて聞たるゆえ、飯お握りて二つ三つあたへければ、うれしげに持さりけり、そのゝち家に人なき時は、おり〳〵来りて飯お乞ふゆえ、後には馴ておそろしともおもはずくはせけり、