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源平盛衰記
十六
三位入道芸等事
後白河院第一御子おば、二条院とぞ申ける、〈○中略〉平治二年の夏の始より御不予の御事まし〳〵けり、〈○中略〉東三条の森より黒雲一聚立来、南殿の上に引覆、鵼と雲鳥の音お鳴時に、必振ひたまぎらせ給ひけり、〈○中略〉徳大寺左大臣公能の被申けるは、目に不見物ならば可祈祭、是は目の当り也弓の上手お以て射さすべき歟、〈○中略〉関白殿の仰に、頼光が末葉、頼政器量の仁に当れりとて、源兵庫頭お召れけり、〈○中略〉頼政水破と雲矢お取て番て、雲の真中お志て、能引て兵と放つ、〈○中略〉其時に兵庫頭源頼政、変化の者仕つたりや〳〵と叫ければ、唱〈○渡辺〉つと寄て得たりや〳〵とて懐たり、〈○中略〉早太寄て縄お付て庭上に引すへたり、叡覧あるにくせ物也、頭は猿(○○○)、背は虎(○○○)、尾は狐(○○○)、足は狸(○○○)、音は鵼也(○○○○)、実に希代のくせ物也、苟に禽獣も加様の徳お以て、奉悩君事の有ける事よ、不思議也とぞ仰ける、〈○中略〉彼の変化の物おば、清水寺の岡に被埋にけり、