[p.0504][p.0505]
傍廂
後篇
鳥羽変文
師翁の雲く、大鷲も小わしも羽に変文あり、切文、爪黒、爪白、中白、中黒、本白、本黒、雪白、黒津羽、護田鳥文、〈俗にうすべうといふ〉尼面(あまのおもて)などは定りたる変文なり雲々、常になき変文たま〳〵出来る事あり、予が家の門上に烏二つやどりし、一は両羽に白文交りたるお見たり、又予が同僚なる成瀬某が土蔵の屋の間に雀巣くひて、子産みし雛の中に、白雀一つありきと語りき、又先つ年、予柳営に上りし日、田舎にて白雁に黒文あるお生捕りにして、籠にこめて鳥見司の奉りしお見たり、常に変文あるまじきものに変文あれば、彫鷲などは常に変文ある物なれば、さま〴〵無量なるべきなり、天生自然の変化にて定りなければ、奇怪の文又再ありともいひがたく、なしとも定めがたし、〈以上貞丈翁矢羽文考の文〉といはれたり、これうきたる事にあらず、下総葛飾郡茨木村勘蔵といへる者、白黒斑文なる鴨お生捕にしてもて来たり、我〈○斎藤彦麻呂〉にみせて、さて芝のほとりの大夏へ持ち行きたるお、まのあたり見たり、其者今にながらへあり、又大名小路の上屋敷の吾徒の詰所の庭へ頭尾白き雀の白腹なるが群雀に交りて、二三日来りつれど、其後ふつに見えず、人や捕りつらん、我若年の頃の射術の師なる、岡崎侯の御内川来十郎左衛門方に、秘めもたる八幡鷹といへる羽一枚あり、大わしの中黒変文なるべし、岡崎は故ありて弓術免許の地なれば、武士はさらなり、農民商人神司法師医師にいたるまで、的射せざるはなし、さる故に染羽の巧みなること江戸も及ばず、されど実の変文と染羽とはたがへる処あり、彼八幡鷹は実の変文なり、