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飼鳥必用

島鵯
薩州上之紅屋町と雲所に、有馬太兵衛といへる鳥数寄あり、畳おさす事お職として、子共余多あり、身上不如意なれ共、鳥は家の中にならべ置、身の置所なきほど籠おかざりて暮し、折から明和年中、町家に大鶏しやむ、或は蜀鶏の類時行、のぞむといへ共、貧家故に手に入事不協、其節筑前の国よりしやむ鶏のよろしき持来り、前文の太兵衛、湯水程懇望なれ共、あたへ高料なれば調達する事難成、子供のうちの二男なるお奉公に遣して、其給金お以しやむ鶏お求て秘蔵せり、世の噺に、子にかへての数寄といふは、此太兵衛ならめと、後に隠居して別宅に有りて、一生鳥と物語りして、七十余にして身まかりぬ、猶鳥ともの語りする事はなけれども、飼鳥能く諦ば、扠も能く諦たりとほめて、少し餌食惡敷ければ、すり餌は気に入らぬかと、独事おいふて餌お直し、鳥のそばにて一日独り言おいふて暮す、故に鳥と物語りするとやいわん、