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宮川舎漫筆

椋鳥と雀合戦
同年〈○文政七年〉七月廿五日より日々七時過より夜に入まで、むく鳥と雀と合戦有、処は小石川馬場と真光寺と金性院と、又加州侯の屋敷の森とにて喰合、殊に湯島金性院にては、数人見物火しく、鳥の死骸多く、誠に一奇事なりとて、弟三右衛門も金性院〈江〉見物に罷こし候、見物の人々群集にて、寺内に容易に入る事成難しとなり、右に付本妙寺格定といえる僧、左の戯章なしたりとて見せぬ、
雀入海中成蛤と、此節に及んで如何したりけん、数万の椋鳥幾群となく四方より飛集り、湯島 なる金性院の境内にて、両三日むく鳥と戦ひ、其害せられし者数おしらず、鶯、蛙抔の合戦おば、 噺にも聞しかど、その戦は古今に希なるよし、人の語りけるお、傍に聞居て、口すさびける、
小鳥などゝ我おあざむく鳥ならば羽たゝきさせじすゝめものども
右むく鳥雀の合戦はいまだきかず、往年予が父〈○宮川政運実父志賀理斎〉の門人小林金之助なるもの、御代官手附にていづれの国にてか、処は忘れしが、狐合戦有て、野原に狐ども数多死して有之趣お、書状に申越たりき、是又奇代の事のよし、父なるものゝ噺に聞ぬ、今此椋鳥すゞめの合戦も奇ならずや、