[p.0545][p.0546]
飼鳥必用

丹頭
本朝〈江〉飛行いたす鳥にてなく、唐方より長崎〈江〉持渡り、日本の地にて玉子産たるお生立候得共世に数羽飼たる者も無之、東都御城之内に産巣ありて、年々雛生立候共、聞伝へし計り、奥州会津の城主の飼鳥ひな相生立の由、外にも玉子かへれども雛にて落、玉子産候てもかへる事なし、何れにもふへかね候は、名鳥ゆへか、親鳥にて雌雄も分り兼候得共、朝夕諦立の節、雄はつばさお割、少し羽広げ、頭おあげ少し声に有り、是お雄とす、雌は諦迄には羽おつかはず、此所にて雌雄に目おつけると、会津の鳥方物語りに、丹頭の雌雄塒の折、雄は早く羽お揃へ、雌は遅く塒仕舞しとの事お聞、此人余り功なき哉、会津の鶴産巣には玉子お落、雛生立しゆへ塒にも遅くかゝり可申也、雌雄相揃産巣にてなき鳥ならば、其差別なく同様に塒も仕舞可申事に候、〈○中略〉就中江戸表にて丹頭放れ場の内に、少し田面おあらば、玉子産飼方麁抹なりとも生立可申候、玉子産そろへ暖候日より三十三日の日数にて、いづれの鶴もかへり候也、けら虫はさみ虫の類にて飼立、鱣鰌の類喰せ、雛大くなるに付、飼方宜敷し、蚓は親鳥の拾ひくれ候故、つかはすに不及、猶親鳥は米籾と鱣鰌のるい、毎日飼事は鳥飼の知る所也、作去援に記す、
姉和鶴
本朝にまれに飛来りて多く不渡、完政年中、大坂鳥や丸屋四郎兵衛方へ番飼置たりしお初て見たるに、総羽薄鼠色大羽、背の辺には黒羽あり、胸に長羽ありて、黒鶴より少し小形にて、鶴の形よりは鴻の形似たり、餌物常の鶴に同じ、至て目出度鶴と、古人の物語りお聞し也、
真那鶴 白鶴一名袖黒鶴共雲、是は大羽先き黒き故也、黒鶴
何れも飼方米籾鱣鰌常に飼也、真那鶴の産巣は世に多かりし、黒鶴の産巣おば未聞ず、此鳥手馴ざるものにて、人に便り手虫にても取よふなるおだしきはなきもの也、世に多ゆへ飼方に手入薄く、飼人麁略にて馴兼可申哉、何鳥にても手馴候よふに仕立、日々一とこと宛相教、心長く恐気なきよふに相心得、其鳥と遊ぶ心持ならば、おのづから鳥も心まかせに相馴れ可申、急におだしくなしたく思ひ、手入致すにおいては、面部羽節足指等も、かならず痛付候事多、心得有べき事、