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桃源遺事

一西山公御隠居後、御山荘にて御放ち飼になされ候御秘蔵の鶴あり、〈丹頂雌雄〉然るに西山の御近辺の百姓〈天神林村の者也、名は長作と申候、〉あやまつて彼鶴お一つ殺候、此科にその者籠舎仰付られ候、猶御秘蔵といひ、右のもの屹と死刑に仰付られ候半と人皆存候処に、西山公那珂湊寅賓閣〈寅賓閣は亭の名也〉へ御入被遊候節、かの鶴殺しお御手自御せいばい有べきよし、御目付五百城茂大夫嘉忠に仰付られ候に付、茂大夫承て是お下知仕り、彼罪人お御庭へ引出し、土壇お抱せ生けさのしかけに仕候、西山公御出被遊、御刀おぬかせられ、彼鶴轂しがそばへ御立寄、にくきやつ哉、鶴お殺したるがよきか、是がよきかと仰候て、四五度御刀お渠が肩に御あてなされ、つと御刀お振上られ候間、あはや最後と人みな守り罷在候処に、ふと御見かへり、中村新八顧言に仰候は、斯まではしけれど、此者お殺して候迚、鶴も生返り申まじ、禽獣故に人お殺し候事道にあらず候まゝ、たすけ可申やと仰ける、新八お始相詰候御近習のもの一同に感じ奉り、口々に難有覚し召の由申上候得ば、さらばゆるす迚、死刑お御なだめ、御追放被仰付候、扠御存なき分にて、役人に御さし図ありて、御内証より、当分彼者何方へも落著候はん迄のたくはへとして、飯米路銭等くだされ候、其子細はかやうなる者は食物無之候はゞ、早速又いかやうなる惡事お可仕もしれざるものなれば、当分飢申さず候様にとの御事也、扠御座敷へ御著座なされ候せつ、相詰候者共、重々御慈悲の至り言語に絶し、有がたき義に奉存候よし申上候へば、西山公仰せられ候は、鶴おころし候ものゝ義は、天下にも我家にも大法の刑あり、殊に西山にて秘蔵して飼候鶴お敢なく殺候段、重々の大罪甚だにくき奴、刻てもあきたらず候へ共、是は我が身ばかりにかゝりし事にて、我が腹立おさへ忍び候へば、助け候ても法度の妨げにも成申まじく、人独殺候事は大切なること也、況や禽獣のゆへに人お殺す事おやと存る念、忽ち心中にうかみ候やいなや、頻りに不便になり助候と仰られ候、是等の趣は、不知甚深のおぼしめし有ての御事にや、