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三養雑記

頼朝卿放たまふ鶴
鎌倉由比が浜にて頼朝卿の鶴お放たまふこと、世にあまねくいひ伝ふれど、吾妻鏡おはじめ正き記錄にかつて見えたるものなし、予〈○山崎美成〉が管見にては、本朝食鑑に、源二品之放鶴、亦曁五六百年、来住于駿遠之田沢、偶観之者謂、翼間有金札、記年号支干雲、〈○中略〉これらのこと、もしは後人の俗説によりて、傅会したることにやともおもはれて、其実はいかにかあらんと疑おりしに、過し頃、頼惟柔の此鶴お詠る詩お、石田醒斎、がもとにて見たり、彦根侯嘗射一鶴、足有金牌、認其年紀、源右大将所放、侯視而感悼、殪之湖北某丘、有鶴塔、余聞此事為作長句、江州刺史田獲鶴、鶴繫金牌、在左脚、題曰建久某々年、刺史視之忽槎鍔、為営兆壙刻誌銘雲々、この詩によりて年来の疑ひ一時にとけたり、世人のいひつたへたるも、故なきにはあらず、〈頼朝卿真蹟の日記とて、影抄本お蔵する人あり、その中に放鶴のこと見えたり、その日記は近頃ある人の作し偽書なり、〉