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採薬使記
上/奥州
重康曰、奥州そとが浜あたりには、毎年秋雁の来る比、此所にて羽おやすめ、嘴に一尺計の木の枝お含み来るお捨て置き、又南方へ飛去る、来春帰る頃、捨置きたる木お又一本づヽふくみ北海へ帰る、然れども帰る雁は希にして、右の木枝残れる数おヽし、彼所のならめしにて、件の木枝おとり聚め、風呂お焼き諸人に浴みさせしむ、他国にて多く人の為に捕れたる雁の、供養なる由、毎春の例とせり、是お俗に外が浜の雁風呂湯と雲、
光生按ずるに、求林斎の性異弁断に曰、日本渡海の唐人語て雲ふ、唐土の北方山西国の北辺に、 毎年鴻雁の来れる時、枯木の細枝お嘴にくはへたるお落す所あり、土人その枝お集めて薪に 売る者あり、其値毎年白銀五万両に及べりと雲ふ、