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古事記伝
二十五
鵠之音は、多豆賀泥(たづがね)と訓べし、遠飛鳥宮〈○允恭〉段、軽太子の御歌に、多豆賀泥能(たづがねの)とあり、なほ万葉などにも多かり、上代には、鶴(つる)おも鵠(くヾひ)おも鸛(おほとり)おも共に総て多豆(たづ)と雲るなり、久具比意富登理(くヾひおほとり)など分れたる名あるは、やゝ後のことなるべし、万葉三〈十九丁〉に、近江海、八十之湊爾、鵠佐波二鳴、とある、此も多豆(たづ)に鵠字お書り、〈鵠と鶴とは別なれども、漢国にても、鶴の事お鵠と雲る例も多く、又字音も其鳥も似たるから、混れつることもあり、五雑俎と雲書には、鵠即是鶴とも雲り、さて又鶴は、秋の末より春までならでは、此国には居ぬ物なるに、万葉に、夏又秋初などの歌に、多豆の鳴ることおよめり、是鵠又鸛などお多豆と雲るなり、〉さて此は鶴なるお、通はして鵠とは書るか、はた久具比なるお、多豆と雲るか、其差は弁へがたし、何れにまれ、訓は多豆なるべし、和名抄に、〈○中略〉野王按鵠、大鳥也、漢語抄雲、古布、〈○中略〉字鏡に、鵠、久々比、又古比とあり、〈漢語抄の古布と、字鏡の古比とは通ひて一つ名なるべし、さて今右の三つお字にて雲はゞ、鶴は都流(つる)、鵠は白鳥(はくてう)と雲物、鸛は許布(こふ)と雲物なり、然るに右の書どもに、鵠お古布とも古比とも雲るは、違へるに似たり、今許布と雲物に、鸛に当れり、さて又久具比と雲しは、鵠(はくてう)のことなりとも雲、鸛(こふ)のことなりとも雲、鸛なりと雲は、誤なるべし、神楽歌の湊田に、美奈上多仁、久々比也、也川乎利也雲々、東遊彼乃行に、加乃由久波、加利加久々比加雲々、師(賀茂真淵)雲、久々比は、今白鳥(はくてう)と雲物なり、古布には非ず、古布はたゞ雌雄一つがひのみ居る物にして、群居る物にあらざれば、八居(やつおり)と雲るにかなはず、白島は多く群集る物なりと雲れたるが如し、又雁かと見まがへたるも、白鳥にてこそ然るべけれ、〉