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日本書紀
二十五/孝徳
大化四年三月、皇太子〈○天智〉妃蘇我造媛、聞父大臣〈○蘇我倉山田石川麻呂〉為塩〈○物部二田造〉所斬、〈○中略〉造媛遂因傷心而致死焉、皇太子聞造媛徂逝、愴然傷怛、哀泣極甚、於是野中川原史満進而奉歌、歌曰、耶麻〓播爾(やまがはに)、烏志(おし/○○)賦拖都威底(ふたついて)、陀虞毘預倶(たぐひよく)、陀虞陛屢伊慕乎(たぐへるいもお)、多例柯威爾雞武(たれかいにけむ)、