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東雅
十七/禽鳥
䨄しぎ 旧事紀に、䨄山祇(しぎやまつみ)神といふ見えしお、古事記には、志芸山津見神に作り、日本紀には旧事によりて、䨄此にしぎといふと註せられけり、又神武天皇、大倭兎田之兄滑(うたのえうかし)お斬給ひて、御軍お労饗し給ひし時の御歌にも、此鳥の事おばよみ給ひたりけり、倭名抄に玉篇お引て、鸗は野鳥也、漢語抄に抄しぎ、一に田鳥といふと註したり、後俗田に従ひ鳥に従ふ、字創造りて、読てしぎといふは、楊氏の説によれるなり、しぎの義不詳、万葉集抄に、古語にしぎと雲ひしは、繁しといふ詞なりと雲ひけり、旧事紀に䨄山と見えしも、後にしげやまといふが如くに、其木立の繁きお雲ひしお、䨄の字お借用ひてしるされたるなり、されど又是に因りて、䨄こゝにしぎと名づけしは、繁の義ありとも知られたるなり、旧説に古歌にしぎのはねがきもゝはかくといふは、暁の事なり、しげきことによむも見えたり〈藻塩草〉さらばしぎとは、其羽音の繁きに因れるにぞあるべき、〈爾雅に鴑は鴾母といふ註に、䨄也と見え、正字通に䨄は鶉属也、説文本作䨄、俗作䨄非と見えたれど、其形の如き詳ならず、或人陳蔵器本草によりて、鷸おもてしぎとす、其説の如きは鷸似鶉、色蒼觜長、在泥塗間、作鷸々声、亦鷯鶉類也と見えけり、其形状は似たる所なきにあらず、俊水朱氏、此にいふしぎは本国にも甚だ多し、されど其名おば知らず、鷸は海上にある鳥なりと雲ひしなり、通雅には、古伝に見えし鷸冠の鷸は、海上にある物、爾雅に翠鷸といふ是也、説文に見えし知雨の鷸は、李時珍が田鳥の小者といふ、蘇秦が鷸蚌といひし是也と見えたり、是等の外また広雅に、鷂属に鷸子見えたり、さらば鷸といふもの、一名にして三物ありけり、俊水執一之説、必より随ふべきにもあらず、唯いづれにもあれ、䨄読てしぎと雲ふは、本朝の国吏に見えし所也、楊氏の説によりて田鳥となしなんも、我国の方言なり、鸗読てしぎといふが如きは、いまだ其拠お見ず、〉