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筆のすさび

万葉集に、出雲守門部王思京歌、
飫海乃(おうのうみの)、河原之乳鳥(かはらのちどり)、女鳴者(ながなけば)、吾佐保河乃(わがさほがはの)、所念国(おもほゆらくに)とあり、和名抄に出雲国意宇郡〈国府〉とあり、この時世の王政は郡県なれば、門部王出雲の任に往きて、奈良の京お懐ふてよみ給へるなれば、歌の心自ら明らかなり、されば先年出雲松江の大守疾篤きとて、京医畑柳安法印お招て治せしむ、法印松江に滞留間、種々の饗応ありし中に、ある夜庭前沙上にて千鳥お鳴かせきかさんとて、数千羽の千鳥お庭上に放ちて諦さしめ給ふ、古今の佳興いふべくもあらぬ嘉饗にてありしよしなり、是珍しき饗応のみにあらず、深き趣ありてなり、出雲の洲には古くよりこのごとく千鳥およみて旅況によせた古実に愜ひて風流の趣、文雅の趣、まことに嘆賞すべき事にてありし、