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享雑の記
前集上
多湊(さはと)ぶり
佐渡国雑太郡相川の鎮守お善知鳥大明神と号す、〈祠官市橋撮津〉神明春日の両社同所に相並て立せ給ふ、これお相川の三社と称せり、土俗の説に、善知鳥の神社は周景王のおん女お祭るといへり、〈○中略〉祭る神こそ定かならね、善知鳥は出崎といふがごとし、陸奥の方言に、海浜の出崎おうとふといふ、外浜なる水鳥に、觜は大くて眼下肉づきの処、高く出たるあり、故にこれおもうとふといふ、彼鳥の觜に喩て出崎おうとふといふか、出崎に比て彼鳥おうとふといふ歟、何にまれさし出たる処おうとふといふは、東国の方言なり、美濃の御岳駅の東にうとふ村あり、信濃にうとふ坂あり、いまは鳥頭と書、これらみなさし出たる処なれば、うとふといふなるべし、さてうとふお善知鳥と書よしは、此鳥甚しく人おおそれ、又よくその友お愛す、もしその一隻お猟師に捕るゝことあれば、もろ鳥そのほとりお翔めぐりて鳴こと甚く、涙お落す事雨の如しとなん、故に善知の二字お当たる歟、又鴪とも書り、その義詳ならず、予〈○滝沢解〉曩に善知鳥の写真一張お獲たり、そのゝち又善知鳥の腸お脱て、乾たるお見しに、前に獲たりし図と大かた違ず、鳥の大さ小鴨に類して、羽はうす黒色なり、羽の色すべて雉子鴿といふものに似たり、觜は太くして前尖り、横に〓如此に陥たる処ありてすぢの如し、觜よりつゞきて、眼下肉づきの所高くさし出たるが、その色本は薄紅、すえは黄に黒色お帯たり、鵝にすこし似たるやうなれども、大に同じからず、眼下に白毛垂て髯の如く、足に水掻ありて、腹はすこし白し、水鳥の足は大かた後へよりてつくものなれど、この鳥はわきてその足臀にありて尾はいと短し、今つばらにこゝに図す、〈○図略〉旧説に、善知鳥は親おうとふといひ、子おやすかたといふといへり、一書に、此鳥砂中にかくして子おうむなり、猟師おやのまねおしてうとふ〳〵といへば、やすかたとこたへてはひ出るといへり、これによりて、みちのくの外が浜なるよぶ子鳥なくてふ声はうとふやすかた、といふ歌はいできにたれと、いとおぼつかなきことなり、この鳥は、荒磯の中にて、安かるべき干潟おたづねて子おうむゆえに、親お出崎に比てうとふといひ、子お干潟に喩てややすかたといふといはゞ、おだやかに聞ゆべし、しかれども辺境近塞のことは、伝聞の誤多かり、今推量おもて説べからず、秘蔵抄に、
ますらおのえむひな鳥おうらふれて涙おあかく落すよな烏
これによりて、善知鳥の異名お、よな鳥といふ、その子おえむひな鳥といふよし、注に見えたり、これ又誤なるべし、一書に、これおことわりて雲、えんひな鳥とは、その名にはあらじ、将獲雛の義歟、しからずばますらおのえんひな鳥とつゞくこといかゞ、よな鳥のなは助字にて、涙おあかくおとすよ鳥とよめる歟、隻うとふのことお詠るのみにて、異名にはあらざるべしといへり、又一説に、よな鳥は善知鳥の異名なり、この鳥、子お捕られ、友おとらるゝときは、必よゝとなく故に、よな鳥といふといへり、人のかなしきにこそ、よゝともなかめ、鳥のかなしむ時、よゝとなくといふは、いよ〳〵受がたき事なり、むかしより外が浜にては、うとふとも呼つらめ、みやこ人はその名だにしかとしらざる鳥にやありけん、なほ考ふべし、