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藩翰譜
二/松平
或時若君〈○徳川家光〉大殿の御寝殿の屋の軒端に、雀の巣おくひ、子お生みたりしお、こなたより御覧じて、欲しがらせ玉ひ、長四郎〈○松平信綱〉とりて参らせよとあり、長四郎年十一才のときなれば、いかにも協ふまじきよし辞しけれぱ、君は驚きて飛去ることもありなん、巣くひし所よく見置て、日暮てこなたの屋の軒の端さして登り、彼処に忍び行て取べし、おとなは身重く、足音もしなん、たゞ女取てまいらせよと、候ふ人々の教へしかば、力なく日暮てこなたの屋よりして、つたひ〳〵行く、既に御寝殿の軒に至りて、取らんとせしに踏損じて、御坪の内へどうと落つ、将軍家〈○徳川秀忠〉御刀取て障子引あけ玉へば、御台所灯火とつて出させ玉ひ、御覧ずるに、長四郎にて在けり、将軍家不思儀に思召して、女は何しに援には来りぬるぞと御尋ありしに、今日の昼、この御殿の屋の軒端に、雀の子うみたるお遥かに見て、余り欲しさに参りて候と申、将軍家いや〳〵、おのれが心にはあらじ誰がおしへけるぞと、いろ〳〵に御推問あれども、幾度も初め申しゝ言葉にかはらず、〈○下略〉