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百家琦行伝

河内屋太郎兵衛
大坂備後町堺筋に河内屋太郎兵衛といふ者ありけり、世人略して河太郎と呼ぬ、商家にして家もつとも富り、〈○中略〉河太郎思ふやう、彼岸の茶の子、何れも同じ物おやつたり貰たり、不益の事なり、何ぞ跡にのこりて要にたつものお、配んと思ひ、〈○中略〉ある秋の彼岸八月十五日、中日に当りけるとき、河太郎また工風おめぐらし、五六寸まはりの小き笊お多く求め、裏に雀お一羽づゝいれて、上お白紙にてはりつめ蓋とし、夫に彼岸の志河太郎と書著てくばりけり、貰たる家には不審におもひ、彼笊(いがき)、〈東国にてざると雲なり〉の中にて、何かばた〳〵と音のする故に、紙お扯(ひき)はなし看ば、忽ち裏より雀一羽とび出て、客次(ざしき)中おとび廻り、竟には外面へ舞いでゝ、那里(いづこ)ともなく去行ける、是彼岸八月十五日に中りたれば、放生会の意なり、然して跡に笊ひとつ残り、永く庖湢(だいどころ)に調宝して、おりおり河太郎が事お雲いでけり、