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茅窻漫錄
鸎字並百舌百千鳥
此邦古昔より鸎うぐひすと訓じ来れり、鸎は此邦にいふうぐひすにあらず、別に一種の鳥なり、鸎の形状、漢土の書に数多載せたるお見てしるべし、
格物論雲、鸎大勝鸜鵒、黒眉嘴尖紅、脚青、遍身黄色、羽及尾有黒色相間、三四月間鳴、声音円滑、爾雅黄鳥注、幽州人曰之黄鸎、一名倉庚、説文雲、鶬鶊鳴則蚕生、〈倉は清なり、庚は新なり、感青陽清新之気而初出故名と、章亀経に見ゆ、〉禽経雲、商庚夏蚕候也、注雲、此鳥鳴時、蚕事方興、蚕婦以為候、陸璣草木疏雲、黄鳥黄鸝留也、常以甚熟時来、桑間里語曰、黄粟留看我麦黄苺熟、亦応節趣時之鳥也、正韻雲、雌雄双飛、鳴声如織機声、時珍曰、冬月則蔵蟄、入田塘中以泥自裹如卵、至春、始出、此等の諸説お考ふるに、鸎は此邦のうぐひすにあらず、朝鮮又は高麗に多く居るといふ、故に本草家にて、朝鮮うぐひす、唐うぐひすと和訓せり、〈○中略〉昔年伊予の大洲山中にきたる事あり、又筑前於呂島に栖むともいふ、〈○中略〉石川丈山嘲吾邦黄鸎非真黄鸎詩に、春上竹梢雖奏鳴、形声毛羽異倉庚、見来爾是鷦鷯類、幸被人呼黄鳥名、といふも、うぐひすは鸎にあらざるお些るなり、羅山文集には、姿餅焦といへる鳥、うぐひすに充てたり、是は事物紀原に、昔人有遠戍、其婦山頭望之、化為石、其姿為餅、将以為餉、使其子偵之、恐其焦不可食也、往已無及矣、因化此物、但呼婆餅焦也、今江淮所在有之といへり、此鳥は重修鎮江府志、寧波府志等にも見えて、形状大に相違するのみならず、舶来もせざるなり、〈○中略〉又百舌鳥うぐひすに充てたる説あり、是は本草綱目に、陳蔵器曰、百舌今之鸎也上、其誤は集解に、時珍委しく論ぜり、〈○中略〉
石川丈山は剖葦うぐひすに充てたり、是亦大なる誤なり、〈○中略〉此邦うぐひすはいづれに充たるかといふに、貝原氏の本草名物附錄及び江村如圭が名物弁解に載せたる報春鳥は、大抵時候名称も能く充たれるやうに覚ゆ、〈○中略〉余〈○茅原定〉先年癸未の夏、長崎に在りて、朝鮮学士将仕郎韓用楫と対坐筆語せし時、問ひて曰、鸎所謂黄鳥者、朝鮮之地多居乎、用楫答曰、黄鳥果多、人称喚友鳥、又問曰、其大比鸜鵒如何、正二月之聞期梅花而来、発円滑之声乎、又曰、此邦所謂鸎者非真黄鳥、形比鷦鷯稍大、其来必正二月之間、上暗香樹枝而鳴、用楫答曰、鷦鷯之謂正合当、而真鸎三四月于飛樹林間鳴、此答形状は詳ならざれども、喚友鳥といひ、三四月といへば、彼地に居る事疑なし、されば鸎も、婆餅焦も、百舌及剖葦も、皆此邦うぐひすに充たらず、凡べて是のみならず、此土に有りて、漢土に無きもの牽強して、漢名お充てむとするより、古今誤種するもの頗多し、其的充しがたきは、国字にて事足りぬべし、猶学者の心得べき事なり、