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十訓抄

七条の南室町の東一町は、祭主三位輔親が家なり、丹後の天橋立おまねびて、池の中島お遥にさし出して、小松お長くうへなどしたり、寝殿の南の庇おば、月の光いれんとてさゝざりけり、春の始軒近き梅がえに、鶯の定りて巳時計来て鳴けるお、有がたく思ひて、それお愛する外の事なかりけり、時の歌よみ共にかゝる事こそ侍れと告めぐらして、あすの辰の刻計に渡りてきかせ給へとふれまはして、伊勢武者の直宿して有けるに、かゝる事あるぞ、人々わたりて聞んずるに、穴かしこ鶯打などしてやるなと雲ければ、此男なじかはつかはし候はんと雲、輔親とく夜のあけよかしと待あかして、いつしかおきて寝殿の南面お取しつらひて営居たり、辰刻ばかりに、時の歌よみ共集り来りて、今や鶯なくとうめきしあひたるに、さき〴〵は巳時ばかりかならず鳴が、午時のさがりまでみえねば、いかならんと思て、此男およびて、いかに鶯のまだみえぬは、今朝はいまだこざりつるかと問給へば、鶯のやつは、さき〴〵よりもとく参りて侍つるお、帰げに候つる間、召とゞめて候と雲、めしとゞむとはいかむととへば、取て参らんとて立ぬ、心もえぬ事かなと思ほどに、木の枝に鶯おゆひつけてもて来れり、大かたあさまし共雲ばかりなし、こはいかにかくはしたるぞととへば、昨日の仰に、鶯やるなと候しかば、いふかひなくにがし候はば、弓箭取身に心うくて、じんとうおはげていおとして侍ると申ければ、輔親も居集れる人々も、あさましと思て、此男の顔おみれば、脇かひとりていきまへひざまづきたり、祭主とく立ねと雲けり、人々おかしかりけれ其、此男のけしきにおそれてえわらはず、ひとり立ふたり立て皆かへりにけり、興さむるなどはこともおうかなり、