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倭訓栞
前編六/加
からす 慈烏おいふ、里がらす是也、黒しと音通ずるよし、万葉集抄に見えたり、詩に莫黒匪烏といへる是也、一説に鳴声お称すともいへり、歌に山がらす、むらがらす、うかれがらす、こもちがらす、やもめがらすなどもよめり、享保戊申の八月に、西京に烏ありて人語す、草履お売の声也、加賀人のいへるは、我郷国にもまたみると、はしぶとは雅也、白雅たま〳〵西国にあり、暹羅国の雅は皆白色也といへり、また唐がらすあり、喜鵲也といへり、あけがらすは曙烏也、梁詩にみゆ、とまりがらすは栖鳥也、隋詩にみゆ、づきよがらすは夜月烏也唐詩にみえたり、朝がらすは万葉集にみゆ、今もいへり、俗に七月のわかれがらすといふは、春雛お生て、その雛長じて後は、反哺して七月には、必ず他所に別れ去もの也とぞ、是孝鳥也、禽鳥の内、首尾毛色雌雄のわいためなし、よて誰か烏の雌雄お知らんなどもいへり、尾張の熱田、安芸の厳島、伯耆の大山(せん)に、霊雅ありて神供お取し事あり、唐山の洞庭湖にもあり、杜詩に迎橈神雅舞と作れり、入蜀記にもみゆ、烏は諸鳥おなぶる、鷹さへも多くより来りてなぶれども、三光鳥に逢ては甚居すくみてちゞまれり、尾お畏るといへり、俗に烏の諦おもて凶兆お占ふことあり、黄山谷が詩に、慈母毎占烏鵲喜といひ、群談採余の詩に、鵲噪未為吉、雅鳴凱是凶、人間凶与吉、不在鳥音中、とみえたり、烏の鵜の真似といふ諺あり、