[p.0845][p.0846]
鶉衣
拾遺上
雅針
孝は百行のもとゝこそきくに、かれは反哺の孝心はありながら、いかで諦声おさへ、不祥の物ににくまれけむ、夫も夕ぐれの端居に、泊がらすの三つ四つつれたるは、清少納言もあはれとはみしお、まだ暁の鐘もならぬに、月夜あるきに起さわぎて、常に廓の夢おやぶり、かの楓橋の漿枕に、唐人の寐言おも驚しぬ、これらは人にかこたれながら、かへつて風雅の種となりて、烏丸殿の歌にもよまれべきか、田畑にむらがりては、麦おほぜり、大根おつゝき、曾哲が隠居屋のなつめも栗栖野の秘蔵の柑子も、などいたづらにあらしけむ、然るに古きためしには、かの烏羽玉も女が宝にて、名剣に小烏あり、おふけなくも日輪に三足のからすもおはしませば、さのみさがなき物ともおもひくだされず、されば一たび己お顧て、鵜の真似おする僭上おやめ、鷺お烏の無理おたしなみ、烏麦烏瓜の備はりたる食もあれば、身お墨染の善心に発起して、今かくいへるしめしおも、よくあゝ〳〵と打うなづかば、あんかうがらす、のら烏、うかれがらすの浮名もきえて、長くお烏大明神のめぐみかうむるべし、さらば鳴子の枝もならさず、案山子も弓お袋の世となりてん、ああ人の為におそるべし、身のために慎むべし、