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東雅
十七/禽鳥
鵲かさなぎ 推古天皇の御時に、難波吉士磐金、新羅より至りて、鵲二隻お献ず、難波の杜に養はしむ、因以巣枝而産子といふ事見えたり、〈日本紀に〉これ我国の鵲の来りし事の始なり、かささぎとは、新羅の方言と、此国の方言とお併せ呼びしと見えたり、即今も朝鮮の方言に、鵲お呼びてかしといふなり、かさといひ、かしといふは転語なり、さぎは即噪(さわぎ)なり、鵲噪ぎぬれば喜あるなど、漢人の説に見えたり、