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比古婆衣
十一
かさゝぎといふ鳥に二種(○○)ある事
かさゝぎと雲ふ鳥に二種あり、まづ其一種はもと韓国の産にて、漢国にて鵲(○)といへるものにて、〈○中略〉其が名は本草、和名抄等に、鵲は和名加佐々木と訓るものこれなり、さて其はもと皇華言もて負せたる名にはあらで、新羅の国言もて呼びならへるものになんありける、其はもろこし宋世に孫穆と雲へるが、朝鮮国の事お記せる鶏林類事と雲書に、その国語どもお載たる中に、鵲曰喝則寄(かつそき)と註せり、しかるに朝鮮の崔世珍が著せる訓蒙字会と雲書に、〈○註略〉漢字の鵲おおのが朝鮮にて呼名に当て、諺文字もて加佐とよむべく注せり、〈字会鵲字の下に諺文にて、〓〓〓と注せり、これお諺文の例に拠りて読むに、〓は加、〓は佐なり、此二字引合て加佐とよむべし、さて其下なる〓は志也久なり、鵲字の音お注せるなり、然るに新井君美主の書されたるものに、今の朝鮮語に鵲お加之と雲へりと雲はれたるは、かの加佐とやうに雲へうだみ言お、然きゝなし亡る説なるべし、〉いはゆる喝則寄の略言なるべし、しかれば鵲お加佐々木と雲ふは、もと韓言の名なるお、そのかみ磐金が新羅より持帰りて、その国言に加佐々木と呼ぶ由奏して献りけるが、今に其名の伝はれるものなりけり、〈○中略〉さていま一種(○○)かさゝぎといふがあり、そはまづ源氏物語浮船巻に、〈○中略〉山のかたはかすみへだてゝ、さむき洲崎にたてるかさゝぎのすがたも、所からはいとおかしく見ゆるに、宇治橋のはる〴〵と見わたさるゝに雲々とある、かささぎこれなり、〈こおかのから国よりわたれる鵲とせむは、いとつさなし、〉其は鷺の類に、蒼鷺(○○)とてあるが、今の世になべてあおさぎといふものゝ、又の名とこそおもはるれ、〈○下略〉