[p.0885][p.0886]
飼鳥必用

島鵯
此鳥いつの比より日本へ渡し鳥といふ事、知りし人もなく、古老の人に聞伝へも無之よし、唐人長崎へ持渡りたるも無之、朝鮮産の鳥にても有間敷、今以江都にて子お生立、何れ此鳥巣組生立方は末の人に極り、是迚も能き産巣之親鳥ある故、庭籠は九尺四方にて、にはこの内へ、植木おまばらに植込み、泊り木又は蜘代にて巣掛けおし、巣草常にかはらず、其内にきよき白紙おさきてちらし置、是お是非巣の内へ紙お引、玉子お落すもの也雌雄好合は、庭籠の内飛廻り中にて、喰合よふにしてかゝり候もの也、其時植木多は惡し、泊り木も沢山は不宜、玉子開わりかへり候上は、蜘お飼、無油断十二三日も過候はゞ取揚げ、さし餌にて飼生立る事、此さし餌には人々流義有り、東都桜田久保町大坂屋善蔵忰岩次郎は、此鳥摺餌にて生立候事名人也、猶芝源助丁海老屋市九郎と申者、諸所より此鳥の巣子生立方請合、さし餌飼に線香お立、初日は五六度も餌飼、漸く度数お重ね、盛長にしたがつて餌も七分位にて仕立候よし、援に又麹町平川町三丁目大和屋弥兵衛は、此鳥とても何ぞ六け敷事もなく、常のひよどりと同様の心得にて、初から五分餌にて日々何度と雲数なく、巣ふこの内不残口お割申節、直に餌おさし、其内口おわるも有、割ざるも有時はささざるとの噺お伝へ聞、何れにも鳥は手六敷なき方にて、其鳥能く進み、塒も見事に仕舞、年お重ね飼たる人が上手也、何にも皆利有ども、拙には無口にて能き方お聞覚度、此鳥生立方、右之外にも功者あまた有、我と玉子お産せ、我と生立る程の功有る人もあり、此鳥あまり見事の羽ぶりもなく、のぞみみても薄く、鳥のあたへも下直ならば、さのみ功者も入間敷、たとへば常のひよどりの子お生立方にも、差而心苦は有間敷、初而島鵯の生立方ならば、人にも尋、我も工夫も可有事、先は何鳥にても子お生立、三度産巣の親鳥お求る節は、先其年の雛鳥お致調達、翌春より巣組に掛り度、直に子お生立取る考にて、親鳥の産巣致吟味候而も、鳥主段々と試、もはや古鳥にて産あがりたる鳥か、又若鳥にても番不宜鳥お手放し可申候、此処は鳥数寄の大切所也、