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飼鳥必用

かなありや
此鳥大古より間々紅毛人長崎へ持渡たる鳥に候得共、皆雄計相渡り、雌は不渡候故、日本の地にて子お生立る事なし、然処天明年中、紅毛人自分なぐさみに初而持渡番鳥也、長崎出島屋敷にて年々子お取り生立、此親鳥其節之御奉行御所望に而、初て東都〈江〉御持帰り、然る処駿河台の御旗本何某と申御方御貰にて、直に子出来たるよし、生立無功して皆とも落鳥と相成、又候翌年工夫お以沢山生立、二三年も外方へ持出候而、段々被出候、夫より今以江戸中は勿論、日本国中皆飼覚、子は何方にても生立、当時かなありやにも、極黄並ぶちかなありや、又はかはふすとて色々名ありけれ共、極黄といへるは紅毛人持渡し羽色也、無地黄といふは日本にて生立羽色也、黄色抜て白色毛に也しお、則無地黄とて名附、のしこ府のぶち抔も出来、此内に色合能きおかあふすと名附、東にて飼立たる人の見立し名なり、古へ紅毛より相渡りたるは皆極黄也、しかしぶちもあれ共、是迚も極黄筋のぶち、此鳥お飼に紅毛国より持渡りしものに、かなありやさあと雲麦の小さなよふのものあり、是お飼て子お生立、何鳥にても粒餌鳥は能く好む品也、十月植付、来三四月頃は実のり、葉も麦に似て能く出来るもの、しかし麦ほど沢山には、実お取る事なし、
かあふすかなりや
天明年中、紅毛人弐羽持渡、薩州江相廻り候処、弐勿共雄也、此鳥のしこ府のかなありやにて、総羽至て青し、頭平にして尾長し、鳥の姿は別によろしく、当時かなありやかあふすとて候が大きな違ひ、紅毛渡りのかあふす見たる人は、其処能くわきまへ有べし、今世にては其鳥おば不知故、鳥に面々の名お付候処、是にはむりなる名もある也、餌飼人知る処也、