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常陸国志
六十/土産
鶻〈和訓八夜布佐、東南海島出、〉
鹿島郡居切深芝芝崎等の海辺にて多く鷹おとる、大鷹もはやぶさもあり、其法は先づ海辺のあるべき処に網お敷置ら、其あたりに杭おたつて、大ぜん千鳥と雲へる一種の千鳥おつなぎて鷹お見せしむ、この大ぜん千鳥と雲へるは、奇しく目さとき鳥にて、諸鳥も人も目の及ばざる処およく視ることお得て、天外に鷹の沖るあれば、とく知て恐れ羽たヽく、しばらくにしてやヽ近づきて人は初て知るなり、この時鷹お捕るもの経緒(へお)おつけて、籠中に携へたる当の千鳥お放遣る、これお見て鷹は一文字に落し来り、彼千鳥おつかみて沙上に落、其時経緒お網の所まてたぐりよせ、網お引返して捕なり、たぐりよせられながらも鷹は得放さぬなり、鷹網お被りては羽たヽかず身お揺せず、袋お首に覆て臂に居るに、あへて人お畏れず、狎たるものヽ如し、捕る者これお得て、他方へひさぐ、或は官家へも献る、其料大概小判壱両お賜ふと雲、猶上品なるは六七両に至るものありと雲、伝称す鷹は北方の海島より至る、或は蝦夷の地より至る、凡鷹お取得たるときは食お与へずて、急に其由お江戸に告げ官家へも献り、他家へもひさぐ、もし取得て道に食お与ふれば、身みづから食お求ること、くせとなりて用に充らず、それ鷹となる故なりとぞ、