[p.0993][p.0994]
太平記
十二
広有射怪鳥事
元弘三年七月に、改元有て、建武に被移、〈○中略〉今年天下に疫癘有て、病死する者甚多し、是のみならず其秋の比より、紫宸殿の上に怪鳥出来て、いつまで〳〵とぞ鳴ける、其声響雲驚眠、聞人皆無不忌恐、即諸卿相議して曰、〈○中略〉我朝の古、堀川院の御在位時、有変化物奉悩君しおば、前陸奥守義家承て、殿上の下口に候、三度弦音お鳴して鎮之、又近衛院の御在位の時、鵼と雲鳥の、雲中に翔て鳴しおば、源三位頼政卿蒙勅射落したりし例あれば、源氏の中に誰か可射候者有と、被尋けれ共、射はづしたらば生涯の恥辱と思ひけるにや、我承らんと申者無りけり、さらば上北面諸庭の侍共中に、誰かさりぬべき者有と御尋有けるに、二条関白左大臣殿の被召仕候、隠岐次郎左衛門広有と申者こそ、其器に堪たる者にて候へと被申ければ、軈召之とて、広有おぞ被召ける、広有承勅定、鈴間辺に候けるが、げにも此鳥、蚊の睫に菓くうなる蟭螟の如く少て不及矢、虚空の外に翔飛ばば協まじ、目に見ゆる程の鳥にて、矢懸りならんずるに、何事ありとも射はづすまじき物おと思ければ、一義も不申畏て領承す、則下人に持せたる弓与矢お執寄て、孫廂の蔭に立隠て、此鳥の有様お伺見るに、八月十七夜の月殊に晴渡て、虚空清明たるに、大内山の上に、黒雲一群懸て、鳥鳴く事薦也、鳴時口より火炎お吐歟と覚て、声の内より電して、其光り御簾の内へ散徹す、広有此鳥の在所お能々見課て、弓押張り弦くひしめして、流鏑矢お差番て、立向へば、主上は南殿に出御成て叡覧あり、関白殿下左右の大将、大中納言八座七弁、八省輔、諸家の侍、堂上堂下に連袖、文武百官見之、如何が有んずらんと、かたづお呑で拳手、広有巳に立向て、欲引弓けるが、聊思案する様有げにて、流鍋にすげたる狩俣お抜て打捨、二人張に十二束二伏、きり〳〵と引しぼりて、無左右不放之、待鳥諦声たりける、此鳥例より飛下、紫宸殿の上にに十丈計が程に鳴ける処お聞清して、弦音高く兵と放つ、鏑紫宸殿の上お鳴り響かし、雲の間に手答して、何とは不知、大磐石の如落懸聞へて、仁寿殿の軒の上より、ふたへに竹台の前へぞ落たりける、堂上堂下一同に、あ射たり〳〵と感ずる声、半時計のヽめいて、且は不雲休けり、衛士の司に松閉お高く捕せて、是お御覧ずるに、頭は如(○○○)人して(○○○)、身は蛇の形也(○○○○○○)、觜の前曲て(○○○○○)、歯如鋸生違(○○○○○)、両の足に長き距有て利如剣(○○○○○○○○○○○○)、羽崎お延て見之、長一丈六尺也、