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東遊記
後篇三
登竜
越中越後の海中、夏の日竜登るどいふ甚多し、黒竜多し、黒雲一村虚空より下り来れば、海中の潮水、其雲に乗じ、逆巻のぼり、黒雲の中に入る、其雲お又くはしく見れば、竜の形見ゆること也、尾頭などもたしかに見え、登潮は滝お逆に懸るがごとし、又岩瀬と雲所、宮崎といふ所まで十余里の間に竟(わた)りて、黒竜登れるお見しと雲、又鉄脚道人退冥の手代、越後の名立の沖お船にて通りし時、海底に大竜の蟠れるお見しといふ、蟠竜お見る事は、此手代に限らず、彼海底には、折々ある事となり、是等は皆慥なる物語なりき、奇怪の事也、過し年淇園子の札記お見しに、其中に或人江戸より船にてのぼりしに、東海道の沖津の沖お過る時に、一むらの黒雲、虚空より彼船おさして飛来る、船頭大に驚き、是は竜の此船お巻上んとするなり、急に髪お切て、焼(た)くべしとて、船中の人々のこらず、頭髪お切て、火に焼しに、臭気空にのぼりしかば、彼黒雲たちまちに散失たりと、載られたり、是も亦珍らしき事也、