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古事記伝

淤加(おか)の意は、いまだ思得(ひ)ず、美(み)は寵蛇の類の称なり、和名抄に、水神又蛟お、和名美豆知(みづち)とある美(み)これなり、〈豆(つ)は例の之(の)に通ふ辞、知(ち)に尊称にて、野椎などの例のごとし、〉又蛇蛟(へみはみ)などの美(み)も此なり、又日読の巳お美(み)と訓るも此意なるべし、さて此神お書紀に霊と書て、此雲於箇美(おかみ)とあり、〈霊は、字書お考るに、竜也とも注し又霊の字とも通ふなり、〉豊後国風(の)土記に、球珠(くすの)郡球蕈郷(くたみのさと)、此村有(のに)泉、昔景行天皇行幸之時、奉膳之人(かしはで)、擬於御飯令(おほみけのそなへに)汲泉水(いづみお)即有蛇霊(おかみ)、〈謂於箇美〉於是天皇勅雲必将(む)有(から)臭(くさ)、莫令汲用(なくませそと)、因斯名曰臭泉(くさいづみ)因為名今謂球蕈郷者訛也(くたみのさとヽよこなはれるなり)、〈○註略〉万葉二〈十二丁〉に、吾岡之(わがおかの)、於可美爾言而(おかみにいひて)、令落(ふらせつる)、雪之摧之(くだけし)、彼所爾塵家武(そこにちりけむ)、これらお思ふに、此神は竜にて、雨お物する神なり、書紀に高霊(たかおかみ)と雲もあり、そは山上(の)なる竜神、この闇淤加美(くらおかみ)は谷なる竜神(たつがみ)なり、〈○註略〉神名帳に意加美神社(おかみのの)処々見ゆ、