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今昔物語
三十一
太刀帯陣売魚嫗語第卅一
今昔、三条の院の天皇の春宮にて御ましける時に、太刀帯の陣に常に来て魚売る女有けり、太刀帯共此れお買ひて食ふに味ひの美力りければ、此れお役と持成して菜料に好みけり、干たる魚の切々なるにてなむ有ける、而る間八月許に太刀帯共、小鷹狩に北野に出て遊けるに、此の魚売の女出来たり、太刀帯共女の顔お見知たれば、此奴は野には何態為るにか有らむと思て馳寄て見れば、女大きやかなる籮お持たり、亦楚一筋お捧て持たり、此の女太刀帯共お見て、恠く逃目お仕ひて隻騒ぎに騒ぐ、太刀帯の従者共寄て女の持たる籮には、何の入たるぞと見むと為るに、女惜むで不見せぬお恠がりて引奪て見れば、蛇お四寸許に切つヽ入たり、奇異く思て此は何の料ぞと問へども、女更に答ふる事無くて て立てり、早う此奴のしける様は、楚お以て薮お驚かしつヽ、這出る蛇お打殺して切つヽ家に持行て、塩お付て干て売ける也けり、太刀帯共其れお不知ずして買ひて役と食ける也けり、此れお思ふに、蛇は食つる人惡と雲ふに何と蛇の不毒ぬ、然れば其体慥に無くて切々ならむ魚売らむおば、広量に買て食はむ事は可止しとなむ、此れお聞く人雲繆けるとなむ語り伝へたるとや、