[p.1034][p.1035]
百家琦行伝

蛇喰八兵衛
常陸国竜が崎に、山田屋何がしの家の下僕八兵衛といふ者ありけり、性惡食お事とす、〈○中略〉一日同じ村の荘官より、山田屋へ使おつかはし、下人八兵衛お些しの間、借うけ度よしお史(たの)み越しけり、奈何なる事ともわきまへねど、且八兵衛お呼て斯と知せ、荘官の家へつかはしけり、斯て荘官八兵衛お呼て語て曰く、近頃我家の前栽のうちへ、両頭の蛇きたりて徘廻す、これお看人遠からず死るといふ事、昔より雲伝て、人の怕る事、唐土の叔傲が古事にても知べし、蛇は執心深き者ゆえ殺しても念お残し、其人に仇するといへり、況や両頭の蛇においておや、援おもて我思に、かの蛇くひてしまはゞ、形も残らず、念おのこす処なかるべし、爾何(なんぢ)とぞ彼蛇おくひてくれよ、然らば其酬謝には二十金お爾に与ふべしといひければ八兵衛〈○中略〉点頭(うなづき)、いつにてもあれ、其蛇いで侍らはゞ、疾く知せ給はるべし、小僕参りて啖さふらはんと雲て、当日は家に帰りけり、四五日お経て、荘官よりむかへの人来りけるにぞ、八兵衛急ぎ荘官の許に往て看に、彼両頭の蛇、前栽の松樹の下に円蟠(うづくまり)て居りける、八兵衛は手に鍬お持て、忍足にすゝみより、彼蛇おしたゝかに打ければ、蛇は大いに〓(いか)り、鎌頭おもたげて、八兵衛が方へ越り来る〈○中略〉処お、扯(ひき)とらへて、皮おはぎ、菜刀にて三五寸程づゝに斬、醤油おつけて残ず喰ひ、二(ふたつ)固の頭と皮と骨とは、火にてよく焼、炭のごとくにして、残なく喰尽し、塵ばかりの物も残る処なし、荘官大いによろこび、頓て二十金お把いだして、八兵衛に与へけれ共、小僕死ざる間は、要用にあらずとて、是お受ず、〓(はしり)て山田屋へ帰りけり、〈○下略〉