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義残後覚

犬蛇淵おさる事
内蔵助〈○佐々〉どの、越中お領し給ふ、くにの繁昌するやうにとおもひ給ひて、北ろくだうのみちおつくり給ふに、こゝにかいだうのなかばに、両はうは山にて、ふかきふちあり、谷底なれば、見わたすところ、三十けんばかりもあるらんと思ふに、下は青ふちにてなん〳〵とみえたり、これに大はしおかけて、往来の旅人おこゝろやすくとおさんとの給ふ所に、所の住人の申けるは、むかしより此淵には大じやのすみ候て、かならず一年には二人三人づゝとらぬとしは候はず、去によつて、しよこくのものきゝつたへに、このすぢおとおり申さぬよしお申あぐる、内蔵助きゝ給ひて、〈○中略〉さらばいそぎのけんとて、このふちのはたにせいらうおあげて、石火矢おしかけ、人数およせて、内蔵助申されけるは、いかに淵の底なる大じや、ものおきけ、我このくにのあるじとして、この海道おこゝろやすく、ゆきゝのりよじんお、とおさんとおもふに、なんぢこのふちにありて、毎年人えおはむ事、きつくわいなり、いそぎこのふちお、いづちへもとく〳〵まかりのき候へ、のかずはあしかるべし、先手なみのほどおなんぢにみせんとて、石火矢お天地もうごくばかりに、ふちの底へうだせ給へば、ふちはさかなみたつてしんどうし、俄にきりおりてくらやみとなりけるが、たゞひとゝびにさほのしといふものに、たつみのかたへ十六七町とびて、山の尾さきへおちけるが、大地しんどうして、五十間四方なん〳〵としたる淵となつて、則是にすみにける、これよりもはしおかけて、こゝろやすくゆきゝおぞしたりける、まことにおびたゞしき大蛇といへど、道理にやおれたりけん、又石火矢におそれけん、ふしぎにぞ覚ける、