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源平盛衰記
三十三
大神宮勅使附緒方三郎攻平家事
昔日向国塩田と雲所に、大太夫と雲徳人あり、一人の娘あり、其名お花の御本と雲、みめこつがら尋常也、〈○中略〉尾上の鹿の妻呼音痛ま敷壁にすだく蟋蟀何歎くらんと、最心細き折節に、いづくより来る其覚ず、立烏〓子に、水色の狩衣著たる男の、廿四五なるが、田舎の者とも覚ず、たおやかなる貌にて、花御(の)本が傍に指寄て、様々物語して、〈○中略〉細々と恨口説ければ、花御本流石岩木ならねば、終には靡きけり、〈○中略〉母此事お聞、水色の狩衣に立烏〓子は〓(おぼつか)なし、〈○中略〉如何にして、彼人の行末お知べきと、様々計けるに、母が雲、其人たべに来りて、暁還るなるに、注(しる)しおさして、其行末お尋べしとて、苧玉巻(おだまき)と針とお与て、懇に娘に教て後園の家に帰す、其夜又彼男来れり、暁方に帰けるに、教への如く女針お、小手巻の端に貫て、男の狩衣の頸かみに指てけり、夜明て後に角と告たれば、親の塩田大夫、子息家人四五十人引具して、糸の註しお尋行、誠に賤が苧玉巻百尋千尋に引はへて、尾越谷越行程に、日向と豊後との境なる嫗岳と雲山に、大なる窟の中へぞ引入たる、彼穴の口にて立聞ければ、大に痛み吟ずる音あり、是お聞人、身の毛竪(よだち)て怖し、父が教へに依て、娘穴の口にて、糸お、引かへて雲けるは、抑此穴の底には如何なる者の侍るぞ、又何事お痛て吟(によう)ぞと問ば、穴の中に答けるは、我は女花御(の)本が許へ夜々通つる者なり、可然契も縁も尽果、此暁おとがひの下に針お立られたり、大事の疵にて痛み吟、我本身は大蛇なり、〈○中略〉形には不似、おめ〳〵として涙お浮めて、頭ばかりお指出したり、女衣お脱て蛇の頭に打懸て、自ら頤の下のはりおぬく、大蛇悦で申けるは、女が腹の内に一人の男子宿せり、〈○中略〉斯る怖しき者の種(たみ)子なればとて、穴賢捨給ふな、我子孫の末までも可守護、必可繁昌、是お最後の言ばにて大蛇穴に引入て死にけり、〈○中略〉日数積つて月満ぬ、花御本男子お生、〈○中略〉此童は烏〓子著て、皸大(あかヾり)弥太と雲、大弥太が子に大弥次、其子に大六、其子に大七、其子に尾形三郎惟義なれば、大太より五代の孫なり、〈○下略〉