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河蝦考
万葉集に、河蝦(かはづ)鳴、また河津(かはつ)妻呼などよめる河蝦(かはつ)は、後の世に蛙鳴雲々よめるものとは、おなじからず、〈○中略〉河蝦と河鹿(かじか)とのけちめ、さだかならざるがうへに、後世加自加(かじか)とよぶもの、魚と虫と二種ありて、ともに古名にあらず、〈○中略〉又二種なることおしら譫人、一種によりて論ずるあり、〈○中略〉今の世には、かはづといへば、春の田沼などに、うたてかしがましきまで鳴ものとのみおぼえて、秋のころ鳴ものとは思はざる人おほし、そは万葉の歌より後、千百余年、河蝦お秋の歌によむこと、たえてなかりしかば、さることにはあれど、いにしへに河津とよみしは、山川の清きながれにすみて、夏の末より秋かけて、さかりに声めでたく鳴ものおいひて、春の田溝、すべて堪水に鳴ものおば蛙(かへる)といひて、かはづとは、いはざりけむ、万葉の歌にて見れば、河蝦(かはづ)は山川にすみて秋かけてなくものおいひしなり、古今集の序に、花に鳴うぐひす、水に住かはづの声おきけば雲雲いへりしは、春と秋とおむかへてかける文なれば、河蝦は秋のものなることしるし、〈○中略〉万葉十秋の雑の歌の中に詠蝦歌五首、皆山川にのみよみて、田沼などによめるはひとつもなし、このほかもみなしかり、
三吉野乃(みよしぬの)、石本不避(いはもとさらず)、鳴川津(なくかはづ)、諾文鳴来(うべもなきけり)、河乎浄(かばおさやけみ)、
神名火之(かみなびの)、山下動(やましたどよみ)、去水丹(ゆくみづに)、川津鳴成(かはづなくなり)、秋登将雲鳥屋(あきといはむとや)、
草枕(くさまくら)、客爾物念(たびにもおもふ)、吾聞者(わがきけば)、夕片設而(ゆふかたまけて)、鳴川津可聞(なくかはづかも)、
瀬乎速見(せおはやみ)、落当知足(おちたぎちたる)、白浪爾(しらなみに)、川津鳴奈里(かはづなくなり)、朝夕毎(あなよひごとに)、
上瀬爾(かみつせに)、川津妻呼(かはづつまよぶ)、暮去者(ゆふされば)、衣手寒三(ころもでさむみ)、妻将枕跡香(つまヽかむとか)、〈○中略〉
古今の序にいへるも、このものならでは、鶯の声に対しがたし、〈○中略〉河鹿といふ魚は、声うるはしく鳴もの也ともいひて、正しく実おしらざるの説どもなり、伊勢の久老〈○〓木田〉神主の説に、〈○中略〉或時京師人と、宮川の辺に、魚つりあそべるに、彼鳴声おきゝて、いとうるはしき蝦(かはづ)なりといへり、〈○中略〉さては河鹿といふは、魚にはあらで、蝦なるよしおしり、且田面に鳴蛙とは、別なることおしれりとかゝれたり、〈○中略〉又岡野磐根雲、いにし年、常陸国麻生の殿の、難波より河鹿おほくめされて、器の中に飼置給ふお見たりしも、ちひさき蝦にてありしと、かたられだり、〈○中略〉上田秋成が、俗に山かはづ(○○○○)と呼て、音はさゝやかなる鈴おふりたつるごとく、たれも聞過がたくする物也といへるも、同じものなり、〈○中略〉堀川後百首、時しもあれやみな淵山お朝ゆけばこのもかのもにかはづ鳴なり、とよめるも此類なり、〈○下略〉