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無名秘抄
井手の河津と申ことこそ、やうある事にて侍れ、よの人思ひて侍るは、たゞかへるおみなかはづといふと思へり、それもたがひ侍らねど、かはづと申かへるは、外にはさらに侍らず、たゞこの井ての河にのみ侍る也、色黒きやうにて、いとおほきにもあらず、よのつねのかへるのやうに、あらはにおどりあるく事などもいとも侍らず、常に水にのみすみて、夜ふくるほどに、かれがなきたる声、いみじく心すみ、ものあはれなる声にてなん侍る、春夏のころ、かならずおはして聞給へと申しかど、其のちとかくまぎれて、いまだ尋ずとなん語侍し、〈○下略〉