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河蝦考
おひつぎの考〈○中略〉
幾度も玉川にゆきて、下つ瀬六合のわたりより二子のわたりおさかのぼり、〈○中略〉青梅の里にいたり、〈○中略〉卯月の始つかた、河原におり立て、かなたこなた見めぐるに、〈○中略〉河の洲の石あるかたに、ほのかにあはれなる声のひう〳〵ときこゆ、小鳥などの雛に、やと思ふばかりなり、人々あれは何の音ぞやと打みるに、さるものもみえず、猶ことかたにもなくは、河蝦なめり(○○○○○)と、耳そばたててきけば、いとあはれにうるはしき物から、浪の音に打けたれて、ほのかなれど、小田につねきゝつる蛙のにるべくもあらず、夏の末より秋にいたりなば、いかばかりうるはしからんと思ひやらる、去年の秋よりおもひ立て、こゝろお尽し、この春も二月ばかりより、玉川におり立て、下つ瀬より河につきて、二十里にちかき間お、〈○中略〉さかのぼりたるかひありて、秋おもまたで、その声おきゝぬるこそうれしけれ、人々そのかはづ得てしがなとて、〈○中略〉あさりみれど見えず、たゞ水の底にて鳴やうにきこゆ、後によく〳〵みとめつれば、みな水中より出たる、黒き石の上、いはほの間などのかすかなる処に、同じ黒色なるちひさき蝦の、とりつき居てなけば、ふとはみえざるものなり、〈○下略〉